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本音はどこにある。 [ぐだぐだ]

ぐだぐだです。
人間の理性とはなんでしょう。。。
ときどきわからなくて。
たとえばわたしはアルコールが入るとすこし理性が途切れる、
気がする・・・。
すごーく離れた場所に自分が現れて、ここのわたしを見ている感じ。
すごーく離れた場所にいる自分がここのわたしに
あーじゃないの、こーじゃないの、そーじゃないの、とか言ってくる。

いまを最後の一瞬ととらえて生きるのです。

最近ちょっとずつ歩を進めている「武士道」に、
そうした心構えがあるようです。もちろん、
「死」ではなく「生」を告げたものです。

なぜなのか、どうしてか、わたしは「生」に執着がない。
いつだって電気のスイッチを切るようにして生をとじていいと、
思っています。
決して。
日々を納得いく生き方をしているから、ではなくて。
むしろ後悔のほうが多い。

ああ、今夜閉じたい、明日閉じたい。
それでも来週のスケジュールを手帳に書き込むという矛盾。
眠って明日目覚めなくても一向に構わないのだけれど、
まあ、天の采配がこのままを赦してくれるなら明日も目覚めます。

どぞ、よろしく。



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慰霊から、顕彰へ。 [呉本くれぼん]

ゴーツートラベルが使えなくなる前に(!?)、
鹿児島県の知覧に一泊で行ってきました。やや強行。
さまざまな事々、こころなど、受け取るまでいけないけど「触る」感じ。
なにから書いたらいいのかな・・・。

知覧は、旧陸軍の特攻の飛行場があったことで有名です。
特攻の飛行場の前は、飛行を学ぶ「教育隊」でした。
全国から飛ぶことに憧れ(あるいは教育課程の上に)集い修練した
若い兵隊さんたちが、死ぬことを前提に飛ぶために再度集合した場所。

知覧灯篭①.JPG
敵軍の沖縄上陸を阻まんがために飛んで亡くなられた1036つの命と
同じ1036基、建てられた灯篭。比較的新しげなのには兵隊さんかな?
可愛らしいお地蔵さんみたいな装飾が加えられている。

知覧特攻平和館.JPG 知覧三角兵舎中.JPG
知覧特攻平和会館にはたくさんの遺書が展示されています。
広島のもそうだけど。なぜ「平和」と入るのだろう。
広島のは広島平和記念資料館といいます、原爆資料館の正式名称。
知覧特攻資料(史料)館、知覧特攻顕彰館とかで、よくない・・・?
お隣は「三角兵舎」という特攻隊員さんが飛ぶ2、3日前に到着して
滞在した宿舎。半地下に掘られた部分が寝床で、地面からにゅっと三角屋根が
出ているものです。

知覧零戦.JPG 知覧マルレ.JPG
資料館には、海軍の零式戦闘機の海中から引き揚げられたものや、
陸軍の海上特攻、マルレの模型もありました。

富谷旅館.JPG
宿泊は、陸軍の指定食堂として多くの隊員、特攻隊員が訪れていた
富屋食堂、からの、旅館になった「富屋旅館」。鳥濱トメさんが有名です。

ほかにもいっぱい見学・研修しましたよ、今回は「研修」だったのです。
「知り」に、「学び」に、行きました。

ほんの一泊二日でなにを得られるというか、おこがましいけれど、いくつか。

①これからは、慰霊から、顕彰に、なるのではないか。

「慰霊」は文字通り、亡くなった方の霊を慰めることです。
似たような言葉に「招魂」があります、霊を招く。
亡くなった方の霊を慰める行為だけれど、誤解を恐れず言うなら、
死者ではなく、生者のための行為なのではないかと思うのです。
想いを募らせるのは「生きているから」できること。
かつてを偲び、死者に二度目の死を与えないよう(記憶からの抹消)、
そして、かつてを偲ぶことで悲しみや憤りのわがこころをひととき癒す。
個人の法事の場合「五十回忌が区切りではないか」という話を
聞いたことがあります。この世から偲ぶほうもすっかり年老いて、
中にはいなくなって慰霊されるほうになっていくからです。

けれど、このたびの研修でいくつか聞くお話の中に、
「戦後、しばらく知られなかった、あるいは取り上げられなかったのに、
近年(十数年ほど)遺品が出てきたり、改めて史実がわかり、
当時の人が語られるようになった、慰霊碑などが建立された」。

なんでだろう?なんで、近年なんだろう?
つらつら考えるに、わたし個人の意見ですが、
やっと、辛い思い出を語れるようになったのではないか。
やっと、閉ざしていた口を開いてもいいくらいの心境になったのではないか。
あるいは。
いま言わなければ無かったことになるのが忍びないのではないか。
当時を知る人が鬼籍に移りつつあるいま、わずかな機会なのではないでしょうか。

さらに、そうなると、「慰霊」「招魂」はもちろんだけど、
「顕彰」になっていくのではないか、と思いました。
顕彰(けんしょう)とは、「顕」も「彰」も「明らかにする」意味だそう。
つまり、「ある人の功績や功労(基本解釈としては善いこと)を、
明らかにして、人々の前で褒めたたえて、世間に周知する」。

子孫、というつながりは絶えないと思うけど、
戦争や戦争体験者に直接関わる人はいずれゼロになる(二度と戦争がなければ、ね)。
と、すると、
死者を身近に偲び、偲ぶことで我をも慰める、というこころの動きはなくなる。
でも。
語り継ぐ、史実に刻む、そこから学ぶ意味で、
失ってはならない史実が、人物が、物語が、時間が、あるわけです。
顕彰しかないんじゃないかと、ふと、思いました。
(まだまだ思考の入口なのでこれから熟考・調査しますけどね)

②自分を主語にすることができるようになったかな。

わたしのごく個人的な課題は「自立」と「自分主語」。
どういうことかというと、「自分に由る」自由を実感していくことです。
たとえば、周りがやかましいから集中できないとか、
わたしは他人がいると眠れないのよとか、みんながそうしているからしようとか、
自分以外にわたしの主導権を握らせるようなことはしない、ってこと。
ハッキリ言って、集団行動は苦手、じゃなく、きらいです。
たぶん、大変に和を乱す存在です。
それでも、融和と迎合(または同調圧力)は違うんだってこと。
これでも、一秒一秒、確かめながら過ごしてみました。客観性とも言うのかな。

③陸軍とか海軍とかをいうのはそろそろやめない?

どうやら海軍びいきと見なされるわたしに言えることではないけれど、
陸軍の話をした、海軍の話をした、海軍の人に指摘されたとか、
いまになってそういうのはやめようと、わたしはやめようと思った。
史実として、基本知識として、違いは押さえておかないとダメだよ。
知覧は陸軍の特攻、鹿屋は海軍の特攻。零戦は海軍の飛行機。
マルレは陸軍、震洋は海軍。
陸軍と海軍は、そりゃ、かなり仲が悪かっただろうし、
そもそも持てる力に差があった。史実は史実として知る必要があり、
そこにジャッジを下す権利は現代のわれわれに一切ないの。

富屋旅館の女将さんの講話は、ともすれば「お説教」で、
最初はずいぶん居心地が悪かった。でも、なんで居心地が悪いんだろう、
ああ、自分の腹の中をぐりぐりされるからなのかもしれない、って。
だんだんそう思うと、女将さんの怒りや焦燥のようなものを、だんだん感じた。

伝えていく在り方は難しいけれど、原発や宇宙開発やIPS細胞なんかより、
ずっとずっと懸命に「伝える開発」をしていこう。

伝え間違ってはならないよ。トメさんの声は、どんな声だったんだろう。





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静かな時間。 [つれづれ]

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今宵、うちから見える空に、ときどき赤い、火星が見えます。
火星は情熱の星、ですよね。愛情も欲望も怒りも、燃え上がる。

静かな時間がわたしには一日に数時間もたらさせる。
ふふ、家人がときを問わず睡眠するので、その間が静かです。
いえ、家人はまったく騒々しい人ではない、騒々しいのはこちら。
うちは子どもがいないけど、家人に子育てをさせてるんだよねーと、
思うほど、なんだか、わたしは騒々しい。

そうした時間を離れた、静かな。

DSC_1458.JPG
わたしの定番はタロットです。トート版を使います。
それがこのごろあまり引かなくて、棚の宝の持ち腐れになってる。
加えて、こんなカードを手にしてみました。

ランダムに配送されてくるものだけど、
表紙にされたカードにもそれなりにご縁があるのだろうと思いました。
コミュニケーション。そうね、結構課題かもね。

別段わたしはスピリチュアルを公言できません。
「感じる」能力がないんじゃないかと思う。
あるよ、あります、ああなんかこんな感じだなって直感しやすいし、
幻聴もあります、かわいい幻聴ね。
あと、珍しく昼寝ができると目覚めたとき、ここはどこ?
わたしはだれ? いまなにしてたんだっけ?と、フワフワした時空を漂う。
だから、決して「感じる」能力がないとは言えないと思うけど、
かといって「ハイヤーセルフと話しました」みたいなのは、無理。

うっそ、聞こえないし、わからんわ。

めちゃくちゃ疑いの目を向けるしかなくなります。

なのに、感性とか感覚とかわからなくないとこもある。
わたしのはハイヤーセルフとかとまったく違う次元なんだろうけど。
人の発する身体から20センチのオーラは感じる。
触っちゃった!・・・は、わかる。
もちろん、触られた!いやん!も、あるでしょう。

なんだっけ、タイトルは、静かな時間、だった。

このごろ不思議でタイムリーな出会いに恵まれています。
ちょっとずつ、丁寧に、大事に、この出会いを育もう。
静かな時間があってくれるから巡らせ至れる心境だね。




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右とか、左って、なんですか? [つれづれ]

勝兵塾①.jpg
先日、「ゴリゴリの右翼」と評判の会に初めて参加し、
な、なんと、講師を務めました。いや、5名ほどの講師の末席です。

右翼とか、左翼とか、なんですか? ・・・よくわかりません。
現代において右と言われるのは「いにしえからの守るもの」でしょうか。
平たく言えば、天皇とか国体とか、ぶっちゃけ歴史の賛美とか。
保守。保守がなにを意味するのか輪郭はよくわかりません。
対して左は、リベラル。リベラル( liberal)は、
「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味する英語だそうで、
政治思想の分野では主に、 リベラリズム(自由主義)やリベラリスト(自由主義者)を
指すそうです。先へ先へと行く発想でしょうか。

この会に参加する運びになったのは、とある人生の先輩から、
キミのプレゼンはおもしろいから発表してみてよ、という、
あまり硬いものではありませんでした。
あ、そうっすか、でしたらやらせていただきます、と。
軽い、というと悪いかもですが、いやあ軽い好奇心からです。

だって。
こんな経験、無いですよ・・・。

参加してみて、中には「そーなんだねー」はありました。
どんな話に対しても「憲法改正」とか「自衛隊」とかに固執するご意見。
申し訳ないけれど、会場のどれだけが聞いているのかわかりません。

いや、反対はされました、「好奇心でも近づくな」と。
理由は、「だれがなんの目的でキミを利用するかわからない」と。
でも。
そもそもわたしに「利用する価値」なんてあるのでしょうか。
もしも「利用価値」があるなら、むしろ稀有ではないでしょうか。

そんな中、「やらないうちに可能性を潰すのはいかがなものか」と、
問うてくれるご意見もありました。
わたしは、それがほしかったのではないかと思います。
試さずしてなんの反論もあろうものか、と。
だいたいわたしはなんの専門家でもない。

思い立って地元の呉を探り始め、大きな壁に幾度もぶつかり、心身を病み、
それでも食らいついてなんとかここまで来た、そんなチリの存在。
わたしが軸を据えていれば、なにが来ようともぶれないはずでしょう?
そこを試す挑戦だったかもしれません。

いや。
いまも。
右も左もよくわからないし、自分がどちらに在するかも知りません(笑)。

思うのは、右とか左で決着しようってナンセンスだな、ってこと。

まあ、いわゆる「右か、左か」は基本知識として抑えるとしても、
いずれにしてもナンセンスです。
大きな視点を持てれば良いなあと、もっと若い頃に気づきたかったなあと(笑)。

どうもわたしは、「呉だし、戦艦大和に詳しい」みたいに言われる。
でも、ぜんぜん詳しくないです、ご存知の通り。
別段、軍隊とか戦艦とかにマニアな知識を欲しているのではない。
ただ。
あの戦争はなんだったのか、反省すべきはなんなのか、主張はなにか、
史実は、真実は、どうなのか。
そこが知りたいと思うだけです。
いまと、あすを、もしも生きるなら、生きるために。

自分の命に小指ほどの執着もありません。いま、ふっと、
消えてもぜんぜんかまわないし、実際、消えたいと思います。
同様に、自分が生きた証も残したいと思わない。
そもそも、いなかった命でも、人間でも、かまわないのです。
それでも。
「これがわたしの生きた証なのね」と、わたしが書いたものに
こころを添えてくれる方がおられると、尊く、有難く受け止めるのです。
ありがとう、ありがとう、会えてうれしかった。
話してくれて、うれしかった。

あれ、なにが言いたかったんだっけ・苦笑。

ま、取り急ぎ、勝兵塾はそーんなにわたしにビビッドではないです(笑)。
経験値として幸いだったということです。
想いは、もっと、自分を生きることに向き始めました。

これは、長生きしたいというアレではなく(笑)、いまの話です。
いまここに在るなら、そうなんだなと、言うだけです。

そうそう。

わたし、女子の武士道、というものに目覚めました!
女に生まれてラッキー!を見つめていきます。

うふふ。


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zoomの不思議。 [ぐだぐだ]

こういう世の中になり、こういう環境になり、
こういうチャレンジが避けられない。
zoomとか、いう。
ドリサラ①_LI.jpg
これなら各人の素性が隠せるかな・汗。

だいぶ遅れた人間です、音楽とか、MD時代からやめたし。
触れない相手とどう接するのか、あいや。
リアルでも相手に触れられることはそーそーないのですが。

まず、身支度をしなくていいラクチン。オールすっぴん。
内緒で呑んでたりする缶チューハイ、すみません。
会ったこともないのに、会ったような気持ちになる。
すごくすごく危険に感じると同時に、せめてこれがないと、とも。

たぶんわたしは新参者で後追いです。活用を考えていなかった。
それでも、空間を隔てて救われるときもあって。
「めんどうな生き方がしたい」と過去に考えたことがある。
ひゅっと、ぴゃっと、瞬時のコミュニケーションも捨てがたいけど、
やっぱり体温を感じたい、三次元の奥行きを確認したい。
めんどうな生き方を続けつつも、出来る出会いにはそっぽしない。

まあ。
なかなか慣れませんが・汗。過去にだけは戻りたくないから。




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