特攻、備忘録として。 [呉]
これは以前、呉で撮影した潜水艦。
まったくの現代ですよ、当然ですが。
最近、空にしろ、海にしろ、特攻の話に近寄っています。
さまざまな機会があり、考えさせられる。
ふと。
『呉本』第二章にご登場のおばさまに聞いた話がよみがえる。
おばさまは学徒動員で、人間魚雷「回天」の座布団を縫われた。
ある日、軍港を囲う目隠しの布がはためいて、隙間に見た。
潜水艦の上に鉢巻き姿の兵隊さんが数名立ち、じっと、
陸に厳格な敬礼をしていた。
特攻に行く人かねえ、ああ、この世であんな姿は二度と見たくない。
80歳を過ぎた身にも夜な夜な悪夢が襲い来る。
ああ。
今夜おばさまが夢を見なければいいなあと、口を開かせてしまったわたしは、
こころの底から願いました。
特攻の、備忘録として。
特攻の記念館を訪れると、空にしろ、海にしろ、
散華された方々の遺書や遺品や、若々しい写真がある。
でも。
生き残ってしまった人、乗り込んだ直後に終戦になった人、
年齢が足りなかった人、送り出した人。
あのとき命が終わらなかった人々は、遺書も写真も名前も掲げられない。
生き残ってしまった、という、後悔の念。
どれほど苦しかったろう。どれほど生きた心地がしなかっただろう。
後ろ指をさされただろう。噂話に気が狂っただろう。
いま、存命してくれた最後の方々に、お話を聞く最後のチャンス。
どれだけ大変な時代だったか、状況だったが、しかし、
いま聞けるお話は、これでも最高値じゃない、という。
なぜなら。
本当の本当に大変だった人たちは、亡くなってしまっているから。
と。(大和ミュージアムの戸髙館長が教えてくれた)。
存命の方々は、自らの真実の物語とともに、亡くなった友の話をする。
親兄弟の話をする、同期の話をする。
そうして、亡くなった彼らは物語の中に生き続けてきた。
いま。
存命してくれた方々とともに、生き続けた。
名もなき、と、よく言うけれど、あのね。名前は全員にあるんだよ。
だれかがその名を呼ぶ愛しい名前があるの。
わたしにも、あるの。
亡くなっても、生き残ってしまっても、生まれ来る者も、名前を持つの。
生まれ得なかった魂だって、名前を持つのが多いんだ。
亡くなった方たちと優劣なく、存命してくれた方たちに、
想いを寄せていく。大事な物語を、名前を、老いた写真を、記していく。
これが。
わたしが言う、「後悔の想いも受け継いでいく」こと。
生きているうちにもっと聞いておけばよかった、その後悔も、
受け継いでいくんだ。
以上、わたし自身の備忘録として、です。
2020-10-25 12:53
コメント(2)
貴重なお話を聞かれましたね。その時、その時に生きていた人の生証言は学校日本史では、紹介されません。ただ、当人さまに対する背景、生き様、人生により捉え方が違いますね。
by 地方人 (2020-10-25 14:14)
本当に貴重でした。何度も繰り返し思い出しますから。一人ひとりが主人公なんですね。
by AKIRA-alice (2020-10-25 14:24)