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特攻、備忘録として。 [呉]

DSC_0275.JPG
これは以前、呉で撮影した潜水艦。
まったくの現代ですよ、当然ですが。

最近、空にしろ、海にしろ、特攻の話に近寄っています。
さまざまな機会があり、考えさせられる。

ふと。
『呉本』第二章にご登場のおばさまに聞いた話がよみがえる。
おばさまは学徒動員で、人間魚雷「回天」の座布団を縫われた。
ある日、軍港を囲う目隠しの布がはためいて、隙間に見た。
潜水艦の上に鉢巻き姿の兵隊さんが数名立ち、じっと、
陸に厳格な敬礼をしていた。

特攻に行く人かねえ、ああ、この世であんな姿は二度と見たくない。

80歳を過ぎた身にも夜な夜な悪夢が襲い来る。
ああ。
今夜おばさまが夢を見なければいいなあと、口を開かせてしまったわたしは、
こころの底から願いました。

特攻の、備忘録として。

特攻の記念館を訪れると、空にしろ、海にしろ、
散華された方々の遺書や遺品や、若々しい写真がある。
でも。
生き残ってしまった人、乗り込んだ直後に終戦になった人、
年齢が足りなかった人、送り出した人。
あのとき命が終わらなかった人々は、遺書も写真も名前も掲げられない。

生き残ってしまった、という、後悔の念。

どれほど苦しかったろう。どれほど生きた心地がしなかっただろう。
後ろ指をさされただろう。噂話に気が狂っただろう。

いま、存命してくれた最後の方々に、お話を聞く最後のチャンス。
どれだけ大変な時代だったか、状況だったが、しかし、
いま聞けるお話は、これでも最高値じゃない、という。
なぜなら。
本当の本当に大変だった人たちは、亡くなってしまっているから。
と。(大和ミュージアムの戸髙館長が教えてくれた)。

存命の方々は、自らの真実の物語とともに、亡くなった友の話をする。
親兄弟の話をする、同期の話をする。
そうして、亡くなった彼らは物語の中に生き続けてきた。
いま。
存命してくれた方々とともに、生き続けた。

名もなき、と、よく言うけれど、あのね。名前は全員にあるんだよ。

だれかがその名を呼ぶ愛しい名前があるの。
わたしにも、あるの。

亡くなっても、生き残ってしまっても、生まれ来る者も、名前を持つの。
生まれ得なかった魂だって、名前を持つのが多いんだ。

亡くなった方たちと優劣なく、存命してくれた方たちに、
想いを寄せていく。大事な物語を、名前を、老いた写真を、記していく。

これが。

わたしが言う、「後悔の想いも受け継いでいく」こと。

生きているうちにもっと聞いておけばよかった、その後悔も、
受け継いでいくんだ。

以上、わたし自身の備忘録として、です。



コメント(2) 

コメント 2

地方人

貴重なお話を聞かれましたね。その時、その時に生きていた人の生証言は学校日本史では、紹介されません。ただ、当人さまに対する背景、生き様、人生により捉え方が違いますね。
by 地方人 (2020-10-25 14:14) 

AKIRA-alice

本当に貴重でした。何度も繰り返し思い出しますから。一人ひとりが主人公なんですね。
by AKIRA-alice (2020-10-25 14:24) 

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