SSブログ

こりゃうれしくて、泣くね。 [呉]

20211115_150011.jpg
去る10月末に、母校である「県立呉宮原高等学校」での講演の感想文。
んきゃー!見事な冊子になって届きました。
野宮三鈴先生、ありがとう。

イマドキの子どもたちは、読み手が喜ぶような書き方をしっているから、
話半分くらいで読むのがちょうどいいよ、と。

以前、現役の教員さんから教えていただいたことがある、けど、
それをじゅうぶんに理解して納得してその上で読んでも。

ダバ―。
感激の涙がちょちょぎれるね。

20211115_150123➀.jpg
あはは、ちょうちょ人間を描いてくれた生徒さんもいたよ。

彼ら彼女らの言葉を読んでいて、おお、わたしはこんなことを言っていたのか、と。
なるほど、こういうのが響くのね、と。

発見の数々。

このたびは、過去2年の講演をバージョンアップさせ、
むしろ自分に言い聞かせるような中身を構築。
(わたしはあんまりやらないけれど)インターネットのコピペの危険性、
途中で行き詰ったとき(興味がなくなったとか)の大胆な転換。
あれもこれも上辺をつなげて知った気になるのじゃなく、テーマを絞る。

これって、自分のことよね、あはは・汗。

今回は、その場で手の挙がる質問が増えていてうれしかった。
「本気で知りたい人に、人は本気で教えてくれる」、
「一生懸命って恥ずかしくない」「知らないことも恥ずかしくない」、
彼ら彼女らの年代には「まじかー、できねー」なことを述べたけれど、
「そうかもなー」と自分だけの心で思ってくれることがあるなら、光栄。

さて。
彼ら彼女らのこころをいただき、わたしはわたしでやってくよ。
みんなもふぁいつっ。



コメント(0) 

特攻、備忘録として。 [呉]

DSC_0275.JPG
これは以前、呉で撮影した潜水艦。
まったくの現代ですよ、当然ですが。

最近、空にしろ、海にしろ、特攻の話に近寄っています。
さまざまな機会があり、考えさせられる。

ふと。
『呉本』第二章にご登場のおばさまに聞いた話がよみがえる。
おばさまは学徒動員で、人間魚雷「回天」の座布団を縫われた。
ある日、軍港を囲う目隠しの布がはためいて、隙間に見た。
潜水艦の上に鉢巻き姿の兵隊さんが数名立ち、じっと、
陸に厳格な敬礼をしていた。

特攻に行く人かねえ、ああ、この世であんな姿は二度と見たくない。

80歳を過ぎた身にも夜な夜な悪夢が襲い来る。
ああ。
今夜おばさまが夢を見なければいいなあと、口を開かせてしまったわたしは、
こころの底から願いました。

特攻の、備忘録として。

特攻の記念館を訪れると、空にしろ、海にしろ、
散華された方々の遺書や遺品や、若々しい写真がある。
でも。
生き残ってしまった人、乗り込んだ直後に終戦になった人、
年齢が足りなかった人、送り出した人。
あのとき命が終わらなかった人々は、遺書も写真も名前も掲げられない。

生き残ってしまった、という、後悔の念。

どれほど苦しかったろう。どれほど生きた心地がしなかっただろう。
後ろ指をさされただろう。噂話に気が狂っただろう。

いま、存命してくれた最後の方々に、お話を聞く最後のチャンス。
どれだけ大変な時代だったか、状況だったが、しかし、
いま聞けるお話は、これでも最高値じゃない、という。
なぜなら。
本当の本当に大変だった人たちは、亡くなってしまっているから。
と。(大和ミュージアムの戸髙館長が教えてくれた)。

存命の方々は、自らの真実の物語とともに、亡くなった友の話をする。
親兄弟の話をする、同期の話をする。
そうして、亡くなった彼らは物語の中に生き続けてきた。
いま。
存命してくれた方々とともに、生き続けた。

名もなき、と、よく言うけれど、あのね。名前は全員にあるんだよ。

だれかがその名を呼ぶ愛しい名前があるの。
わたしにも、あるの。

亡くなっても、生き残ってしまっても、生まれ来る者も、名前を持つの。
生まれ得なかった魂だって、名前を持つのが多いんだ。

亡くなった方たちと優劣なく、存命してくれた方たちに、
想いを寄せていく。大事な物語を、名前を、老いた写真を、記していく。

これが。

わたしが言う、「後悔の想いも受け継いでいく」こと。

生きているうちにもっと聞いておけばよかった、その後悔も、
受け継いでいくんだ。

以上、わたし自身の備忘録として、です。



コメント(2) 

ノー・ペイン。ノー・ゲイン。 [呉]

朝顔.jpg
鹿児島県鹿屋市からはじまった今回の旅、
ふるさと呉に至り滞在10日間を経て帰還。
遺構や史料館を見学したり、さまざまなお話を伺ったり、
母校の宮原高校で講演したり、ついにホテルの人に面が割れたり・笑。
KUREP+さんで官民ごちゃまぜの情報交換があったり、大和サンドを食べたり。
偶然教えてもらった特攻所属経験をお持ちの90歳おじさまに会いに行ったり、
新神戸で下車して熱い想いと貴重な資料と心づくしのお土産をいただいたり。
中國新聞にのっけてもらったり。
マッサージに行ったり、屋台で飲んだり、ママんとこ行ったり。

いつも、呉には、全力です。全身全霊といっていい。
ほとんど命を懸けている。
とはいえ、すこしずつ耐性はできてきた。今回は発熱せずに帰京したから。

ノー・ペイン。ノー・ゲイン。

痛み無くして、獲得はない。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、ともいうのかな。ちょっと違うか・笑。

ノー・ペイン、ノー・ゲイン。ああ、その通りだ。
呉の探究に無傷でいた試しはない、いつも傷だらけになる。
はじめて知ることの衝撃、新たな視点の緊張、自分が増えていく恐怖。
ショックや戸惑い。無傷でいられる、わけがない。

それでも。

やらない、という選択肢もない。傷つくと知っていてわたしは行く。
ノー・ペイン、ノー・ゲイン。

ノー・ペイン。
ノー・ゲイン。





コメント(0) 

初日の出は晴海で。 [呉]

DSC_0267.JPG
初日の出って。。。新年元旦に一番に見た太陽でいい・笑?

今年は静かに一人東京だし、大みそかから元旦も通常睡眠だったので、
午後から晴海ふ頭に行って太陽を眺めました。
ここにしたのは以下の理由。
・家から歩いていけて
・人がいなさそうで
・お金を使わず済んで
・なんとなく船出とゴーアップな感じ
上記、バッチリ当たっていました・笑。
DSC_0268.JPG
しーずかーなーしーずかなー。
そしてキラキラ明るい晴海ふ頭。

すこし前(16、7年)まで豊洲ららぽーと辺りにはIHIの造船所があり、
晴海ふ頭と向かい側の豊洲ふ頭からはIHI建造の船が出航したり、
海自の護衛艦が出入港したりしていたそう。
(わたしの『くれぼん呉本』にちょっこッと書いてますよ★)

新しい年も船出していく。そんな感じで、
いまのわたしには神社と同じくらいここが合うかもなーって。
その程度なのですけれど。

↓の写真で、東京タワー、見つかったかな?
DSC_0270.JPG

不思議なことに、年末30日くらいから、
朝まで一度も目覚めずくうくう寝られています。
あんなに不眠に悩んでいたのにね。薬も効かず起きていたのに。
年末年始の魔法。プレッシャーからのしばしの解放。

そーいえば!
ゆめタウン呉の啓文社さんから追加注文あり!
店頭うすっ。早くモリモリ盛らないと・笑。
帰省も増える、財布のひもが緩む、いろいろ思い出すこの時期、外してなるものかっ・笑。
1546231717476.jpg
大急ぎで送りました!2日午後には入ります。
東京にいてよかった・笑。
元旦から郵便さんが開いててよかった!


nice!(0)  コメント(0) 

地道な後方支援。 [呉]

夏の帰省で人生初のボランティアに参加しました。
IMG_20180819_151719.jpg
呉市役所のホールで毎日9時から受付(※現行は区役所ホームページなどでご確認を)。

帰省前、7月の豪雨災害発生直後の当初からボランティア活動している
幼なじみに電話し、「わたしも連れてってもらえるもの?」。
自慢じゃないが非力である。役に立たないんじゃないか。
しかも「ぽっと出で1日だけ行くみたいなのって許される?」。
でも、「お前みたいなんが多いで。1日でも来てもろうたら助かるんじゃから」。
励まされ、「ほんならお願い」と、連れて行ってもらいました。

呉は坂道が多い町です。
ぐるぐると細い坂道の続く合間に家々が建っている。
お宅の裏の坂の上から石垣が崩れ落ちたという被害宅に行きました。
上の坂道から土砂の山を伝って下に降りられるくらい溜まっている。
ここに元から生えていたわけじゃないのにどっしり大きな木の根っこ。
機械でないと崩せない大きな岩、へしゃげた物置。
8人×2チームにわかれ、10分交代ごうたい、土砂を土嚢袋に詰めて運ぶ。
繰り返しますが、わたしは非力なので、もっぱら後方支援。
土嚢袋の口を開いたり(底が抜けたバケツのようなものに袋を引っかければ、
ひっくり返してシャベルのそのまま土砂が入れられるという、
とても画期的な土嚢袋口開きの用具がありました!すげー!)、
おじさんの襟の後ろにビニル袋に入れた氷を差し込んであげたり
(氷入りビニル袋は看護師さんがせっせと作ってくださいます)。
ほんと、後方支援。

それでも、ふるさとの様子を肌身で感じる機会になる。

地道な地道な作業です、こちらのお宅も終了まで2カ月ほどかかったんじゃないか。
のべ何百人というボランティアさんががんばった成果です。
頭が下がります。

で。

結構若いお兄ちゃんも多くて、漏れ聞いていると、遠方から車で来たそう。
帰りに温泉に入って(大和温泉という施設が呉駅前にある、ボランティアさん無料)、
一つか2つ観光して帰ります、と。

へえ。

そういうの、ありだ、って。思いました。

有志で汗をかき、その汗を無料で流し、ついでに呉を味わっていく。

あり、だ。

重機やプロがどんどん復旧作業をしてくれています。
ただ、お宅の裏庭のような生活ギリギリラインは人力しか入れない。
だからそこはプロじゃなくてもぽっと出でもお手伝いができる。
適材適所の後方支援。地道な後方支援。
ふるさと納税もわずかばかり。返礼品無しのやつ。
それでも、代行手続きする鳥取県大山町からお茶が届いてびっくり。
心ばかりが、心うれしい。

これからもできることをします。


nice!(0)  コメント(0) 

今年の抱負は、素。 [呉]

新年あけましておめでとうございます。
長崎・佐世保からの呉。そして東京は晴海。戻りました。
現実に帰るのはなかなか難しくて・笑、帰路の飛行機を待つ時間は、
年末から読みかけの本を開くことで意識的なリセットを目論む。

満月は昨日正月二日ですが、今宵も美しい。
1514975358119.jpg
都会の月ですよ・笑。これを日常に、心だけは遙かを飛び交うように。

年末の長崎・佐世保、そして呉の旅の調査報告はおいおいとして(待っててよ!)、
いちおう、正月らしい正月の感想。
DSCF2315.JPG
両親の隠し撮り。
ようよう歩ける母と、うちの家人からお下がりコートを着こなす父。
DSCF2321.JPG
氏神である亀山神社に初詣でました。両親が結婚式を挙げた神社でもあります。

亀山神社は、呉に海軍が座した都合で引っ越しさせられたという
数奇な運命を過去に持つ神社でもある。
ここのおみくじが妙に納得できるので毎年いただいてきます。

ただ、実家の住所でいえば、こちらが身近な神社です、平原神社。
DSCF2356.JPG
正月二日の朝に散歩がてらもうでたのだけど閑散・苦笑。

いま、改めて、ふるさとを感じます。
可能な限り、舐めるように歩いてみる。
DSCF2348.JPG
こんな細いほっそい、どこにつながるとも知れない裏道の宝庫。
「野良猫道」とわたしは心で命名しています。
このたびも、体力の続く限り・笑、目の前の野良猫道に導かれるまま散策。
ひゃー、うちに帰れるかな? 実に奇妙なことに、ちゃんとつながっているの。

「玲子を(野良猫道に)放つと回収が大変」、と。
生きているころのまだ若いうちの祖父が、言っていたと聞きました。
とっとこ、とっとこ、わたしは駆けずり回ったようです。
回収してもらえる安心感の為せる業なのだなあと、いまさら思う。
とっとこ、とっとこ。
大人のいまのわたしも、なにかに見守られて導かれるまま歩く。

で。

今年の抱負は、素、にしました。

いちばん、パワフルにいけるのじゃないかと思います。

本年もどうぞお見捨てなくご愛顧賜りまするようお願い申し上げます!


nice!(0)  コメント(0) 

恋しさ、あわただしさ。 [呉]

1497957015292.jpg
新しいデスク。

このたびの転居を機に10数年来使ってきたデスクを廃棄し、
縦奥行き半分くらいのものに新調。
デスクが新しくなるってやっぱ物書きには新鮮です。

先週引っ越して丸1週間ほど。丸1週間でここまで生活環境作れたのって、
自分でも自分を誉めてあげたい・笑。がんばったよー。
いち早く生活や仕事の体制を戻し、できるなら以前よりすこし進化させ、
自分たちにも周りにもすんなり暮らせる流れに乗る。

デスク上はなるべくシンプルが信条。
作業中の原稿の資料もその日が終わればいったん仕舞いたい。
ミカエルのイコンと、時計と、エンジェルフライのクオーツ。
ほかは、パソコン本体とライトとちょっとしたものを入れる箱、筆記用具。

目前の仕事にあわわわわ・・・、で、呉が恋しいです。
引越しを挟んで10日間か2週間くらいなにも触れていない。
それはそれで焦燥感に似た思いに苛まれもします。

あわてても仕様がない、大事に進めるほうが、大事。

で。
1497960248535.jpg
あわわ仕事の気分転換(・・・といってはナンですが)に眺める。
一時高まっていた勘のようなものを取り戻すと言いますか。
ペラペラとめくって気づけば没頭して、すこし気分が落ち着く。

目前の仕事も、呉も、生活も、(お手紙活動も)、どれも大事。
納得できる速度と深度をもっていきたいね。

もうじき呉に帰る。深みにハマっていく。感度を上げてこっ。



前線と銃後。 [呉]

目前のあわただしさにワラワラしながらも、
呉の勉強と執筆めいたことはコソコソ地道に続けています。
できれば今年のうちになにかしら書き留めたい。
たぶんまだまだフラフラの状態であると思いますが、
いろいろな方に聞けたお話をまとめて自分なりに考えて一つ編む。

約2か月前の4月頭に呉で頭いっぱいにしたのがずいぶん前みたい・苦笑。
それだけ濃い濃い時間の中に相変わらずいるようです。

呉の戦災を記録する会というのがあって ⇒ http://kure-sensai.net/
こちらの代表・朝倉さんから昨日メールをいただきました。
ヤフーが「後世に残す戦災空襲体験版を制作」しており、このたび「呉空襲版」が完成。
https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/24/

記事自体はさほど長くないけれど、呉空襲の概要がまとめられて、
体験者の動画インタビューが充実しています。朝倉さんもご登場。
4月にお宅を訪問した際、玄関に季節真っ盛りの菜の花が大きく活けられていました。
この時ご指摘もらった数々の言葉が、正直、いまのわたしを悩ませています・笑。
でも、言ってもらわなければ悩みも気づきもしなかった。
気づかなかったほうがよっぽど怖い・・・。呉が孕むモノを知りました。

ぜひ一度サイトをご覧ください★

ただねー。
動画インタビューには標準語でテロップが出るんだけど、
呉弁の翻訳がイマイチだねー。
「ようせん」とか「ようけ」とかのニュアンスがいま一つ・笑!

呉は、海軍の拠点であり、軍艦造船や兵器工場があったため、空襲を受けた。
たくさんの学童や乙女たちが兵器や戦闘機づくりに駆り出された。

銃後、と言います。

銃などの兵器を手に戦争の最前線で戦う兵隊さんの背後、銃の後ろで、
実際には兵器を持たないけど戦争のために必死で身を粉にする呉人たち。

いま「一億総活躍社会」とか言ってるけど、当時は「一億玉砕」と言っていた。
なんか・・・、ゴロが怖くて嫌だなあって、わたし思っちゃって。

銃後があるのは、銃前(という言葉はありませんが)があるから。
今日は、注文していたこんな本が届きました。
1496383776447.jpg

左は、昨年実施された戦艦大和の海底調査の報告書籍(ひと月ほど前に買った)。
ほぼ写真で読むところはすくないけど・苦笑、
わたしが実際にお会いしてお話を聞いた学芸員さんの原稿もあって親近感です。

右は、太平洋戦争の艦艇が詳しく解説された本で、
いまわたしもめちゃくちゃお世話になっている戦艦大和会が全面協力。
戦艦大和会 ⇒ https://senkanyamatokai.amebaownd.com/
これまた、先の4月の帰呉でわたしも拝聴した講和が収録されていました。
戦艦大和と武蔵、信濃の最期を、駆逐艦磯風から見届けた方。
こっちの本はめちゃくちゃたくさん読むところがある。ひゃー。

戦争には、前線と、銃後が、あるんです。
上層部のことはわたしにはまだよくわかりません、でも、
たとえばわたしが当時生きていたなら絶対に関わっていたであろう、
前線と、銃後のことは、わかりたい、想像したいと真摯に思います。



横須賀にて練習艦かしま。 [呉]

このところ千々に乱れる思いを抱えておりまして・苦笑。
思い切って出かけてみようと、まだ行ってなかった横須賀軍港めぐりへ。
天気もいいし。
呉の人間としては、横須賀も行っとかないとね・笑。

呉の艦船めぐりは海上自衛隊と、建造進行中の造船ドックが見どころだけど、
横須賀は米軍がありますからねー。
とはいえ、空母ロナルド・レーガンはつい先日出港しちゃったため、
「空母が見たかった方には申し訳ありません、僕のせいではないですが」との
船内解説アナウンス。「年末には帰港するのではないかと思われます」だって。

残念だけど、ま、ニュースで知ってたから割り切れてます。

でも、珍しい艦船がいくつか見れました。まずは練習艦かしま。
練習船かしま.jpg
この子、呉の所属ですって! 呉から来たんだー。
海上自衛隊教育のための艦船で、これから世界一周の訓練に出るそう。
おお~、呉の子に会えてテンション上がるう。

こちらは護衛艦。152やまぎり、153ゆうぎり。
護衛艦やまぎりゆうぎり.jpg
護衛、つまり守る艦だから大砲を積んでます。
護衛艦、って、言葉の綾、なんだなあ。

これは、掃海艇303はちじょう。
掃海船はちじょう.jpg
海底にばらまかれた機雷を除去する艦です。とても危険な仕事をしている。
磁気に反応してはいけないので木造船。
はちじょうは一番古い艦だそうで、来月引退。ギリギリ会えました。

横須賀潜水艦.jpg
潜水艦もいたけれど、潜水艦は呉で見慣れているので・笑。

米軍のイージス艦。イージス艦の見分け方は、
前面の左右に見える八角形のもの。これがレーダー・アンテナだそう。
イージス艦.jpg

このクルーズすごく人気で、平日にも関わらず次から次へと人が並ぶ。
一回に100人くらい乗っけ、1日5~6回運航、大人1400円。
呉のクルーズももっと人気が出たらいいなー。

写真を撮りすぎあっという間にスマホが電池切れ・笑。
横須賀自撮り.jpg

すごく素朴な疑問なのですが。

旧海軍の軍艦など艦艇の名前は漢字表記なのに、
海上自衛隊はどうしてひらがな表記なんだろう?

こんど詳しい方に聞きたいと思っています、・・・幼稚な質問だけど知りたい・爆。



博美屋の和風マカロン。 [呉]

呉の本通りにある老舗和菓子店、博美屋。
天明堂の鳳梨萬頭(おんらいまんとう)、蜜屋のお饅頭、休み山せんべい(いまもある?)、
エーデルワイスのクリームパイ、ねむのバターケーキ。
呉にもたくさん銘菓がありますが、博美屋というとちょっと高級な、
ちょっといい感じなイメージもあるのではないかと。

今日、呉から東京に博美屋が届きました。
1494241136958.jpg

おお、おみやげにしか買ったことないぞ。
自分で食べるのは結構な希少価値・笑。

「榑木」という名前のお菓子、もしかしたら初めていただくけど、
なんかね、和風マカロンって感じなんですよ。
1494241122287.jpg

ね?

かしゅかしゅの薄生地の中には、あんこと、栗の甘露煮。
かしゅかしゅの生地、麦こがし粉、らしいです。

「榑」は「くれ」と読んで、呉のむかしからある樹木なのだとか。
「呉(くれ)」の地名は、周囲を九つの嶺(九嶺=くれ)で囲まれているから、
という説が地元でも強く、映画『この世界の片隅に』にも出てましたが、
「榑」という神木が珍重され古くは軍艦建造(大和なんかよりずっと前)にも使われたため、
その伝説に由来して町を「くれ」と名付けた、なんていう説もあります。
わたしはなんとなく「榑」説支持者だったりして。

博美屋は、いちご大福の呉でのさきがけだった思い出もあるんですが、
(当時、大学生?高校生?だった姉がいち早く買ってきて食べていた気がする)
ほかにもいちご大福で有名な店が呉にあるんだって?

真相を知りたいです。友の調査結果を待っているところ・笑!

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。