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愛をどうしよう。 [呉本くれぼん]

カヒナノオプナ①.jpg
お目汚しで失礼いたします。
もう5年くらい前の写真? もっと前かも・爆。
フラを習って10年近くになるかもです。

発刊後、廃人のようです・笑。
とにかく焦る気持ちもあるのだけれど、なにを焦っているかは不明。
眠るに眠れず、かといって睡眠不足の感じもない。
これってアドレナリン?

取材した先のおじさまやおばさまからご連絡いただくたびに、
こころがぐらんぐらんしてたまらんのです・苦笑。
ああ、このお声。
お話を聞いたときのあのお声、いまここに触れられるお声。

インタビューは、聞き出すのか、聞き取るのか。
話したくないことを話させることに成功したら敏腕なのか。
あらやだ、本音を言っちゃった、は、だれのためにあるのか。

やちもなぁことをつらつら思ってしまう。

丸のみある愛をどうしたもんかなあと思います。
わたしはくどくて面倒でマズい気質かもしれません。
みんながみんな喜んでくれる性質ではないとわかるのだけれど、
それでも。
この愛をどうしたもんかなあと縷々思います。

フラをやっていて、歌詞はハワイ語で、わたしは「アイナ」という言葉が、
好きです。
アイナは、大地、この地、地上、祖国、のような意味。
ふりは、両の掌を大地に水平に置いて流れさせるもので、
簡単だからこそとっても難しい。

アイナ。

この、地。

愛なのかどうかハッキリしませんが、撫でていきましょう。


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これは泣く。 [呉本くれぼん]

大島さん福岡さん.jpg

『呉本に』でインタビューに応じてくださったおばさまたち。
本誌にも掲載したから、ここのアップもダイジョブと思うよ[あせあせ(飛び散る汗)]

オーラルヒストリーは、とても切実でリアルで、あるいは、
ときとして「演出され」ている可能性もあるのだけれど、
わたしが伺う方々は、どなたも間違うことなき真実の物語で。。。

発刊後、掲載を許可してくださった方々より、お電話をいただく、
ことがあります。

「まあまあ、この年になってこんなことになるなんて」とか。
「ようがんばって書いたね、がんばったね」とか。
「わたしが生きた証拠がここに残るんよね」とか。
「お友だちもほしいと言うてなんだけどどうしよう」とか。

電話口でわたしは泣くのです。
本当に、ああ、本当に、ありがとうございました。
わたしの未熟で不躾で違和感だらけの問いに答えてくださり、かつ、
リアルに残る「書籍」に載ることを許してくださって。

これは泣く以外はないよなあ・笑。

たぶんわたしは勘違いをしている、いまこうして、お電話で、
声を交わしているお相手がいつまでもこうしておられると。
けれど命の終焉は宿命であって、自然なことであって、
みなさまよりわたしが先に、ということも無きにしも非ずで。

たとえコロナに感染しなくても、ワクチン後遺症に侵されなくても、
戦争で死んでしまう命が、いま、目の前にあるのだから――。

自分が「生きている」と実感できるはじめての体験かもしれないね。
おばさまたち、おじさまたちに、いい子だねって言ってもらえる幸福。

これは泣きますよ、ほんと、泣く。ときには。
「あんたなんかよりわたしが出るべきなのよ」と知人に言われて
傷ついた方もありました、わたしが書いてしまったばかりに。
だから。

文責、なのです。背負う気概があるのか、無いのか。

「いいえ、この出会いがわたしにとってはすべてです。
傷つけてごめんなさい、けれどわたしは貴方にお会いできて幸運でした」。
本当にその通りなのだから。

著書を知っていただくには広く告知をがんばっています。
なかには。
本書を読まずともわたしが投げたリリースで書ける紹介文よね、と、
がっかりするケースもあります、そりゃあります。
けれど。
読んでくださったからこそこのような表現なのだ、と、
こころより感謝を申し上げる場もあるのです。

傷つくもんです。
そういう、もんです。
だからやっていくのです。




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なんて言うの? 悔しい、かな。 [呉本くれぼん]

https://store.tsite.jp/hiroshima/event/magazine/25529-2157580319.html
いま、広島のレクトの蔦屋書店さんにて【呉フェア】開催中!

蔦屋フェア➄.JPG
わたしの呉本はグループ分けするとしたら「旅行」グループらしく、
旅行ご担当さんの熱烈なお声がげがあり、救われるカタチで実現。
思うんだけど。

なににしても、「熱烈な人がいるかどうか」で決まるもんですね。
たとえば。
上記の蔦屋書店さんフェアもそうだし、
母校の宮原高校に関われるのも熱心な先生がいてくださるから。

やっぱり。
人。
なのです、ね。

それで。

図々しく手前味噌を承知で書きますよ。
わたしの呉本シリーズたちは(いつの間にかシリーズ!?)、
無くしたくない郷土の今昔の声をリアルに綴ったものと自負しています。
で。
宮原高校で取り上げていただいたのもあって、いい気になりますが、
中高の若き命たちに読んでもらえたらいいなって思うわけです。

決して。
押しつけなどではなく。
選択のひとつとして存在出来たらよいな、と。

わたしは、自分がどうにかなりたくて書いたのではない。
わたし自身は別段どうだってよいんです、いまだって存在は曖昧だし。
そこではなく。

呉という特殊な町に生まれたゆえのある種宿命というかを、綴るだけで。
お話をしてくれたおばさまたち、おじさまたち、それぞれの命を、
大事に聴いていたい、そっとそこに置いておきたい、それだけで。

ただ。
一人でやっているもので限界があります。
そこを、呉の仲間たちが救ってくれるわけです、多くの場合、無償で。
想いを込めて、手をつないでいきます。

だから。
たとえば行政の力をお借りして、もうちょっと広くお届けできないかと
思うわけです、だから直談判もしています。なのに。

だいたいが「市の事業や後援でない扱えない」「個人を応援できない」と。
蹴られます。

ごめんね、これは愚痴なの。。。。

じゃあ、なんだったら応援していただけるのですか?

このちいさな手になにができるというのか、それでも、
応援くださる仲間たちと手に手を取って一歩ずつ進みます。
それはとてもあたたかく尊いもので、澄んでいます。
なかなか。

認められる、って、無いですね・苦笑。

こう書くと「お前ごときが生意気な」というだろう人の顔もとっくに
浮かんでいます。
それでも。

喰いしばって喰い下がって執着してしまう。いま世界にある戦争を見て。
なぜ自分だけは無事だと思えるのか?

微力で非力で無知で幼く騒いでいるだけの存在ですが。
どうぞ、手を。

手を。よろしくお願いいたします。

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