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躊躇なかれ。 [ぐだぐだ]

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いやー知らなかったけれど、書籍を売り続けるには
登録の継続が必要なんですね!
はい、躊躇なく3年更新しました、いやねたった3年ですか。
必要経費と割り切ります、活字文化は危ういと言われても、
まだまだ活字は生きていますから。わたしも印刷された活字がよいです。

いま、躊躇している場合ではない、とも思うのです。

「いまを最期として生きる」。武士道の教えのひとつですが、
なにも死を急いでいるわけじゃないんですよ。
いつでも最期であっていいようにいまを誠実に真実に生きる、
というだけのこと。
生きるもの、致死率は100%です、残念ながら・笑。
で、あるなら、ちょっとでも長生きすることを願うより、わたしは、
いまを最期として生きるほうを選ぶだけのことです。

躊躇なかれ。これは自分に諭すものです。
躊躇の理由は苦労なのか、外聞なのか、社会的地位なのか。
すくなくともわたしに社会的地位はありません、だから、
あるとすれば怠惰や堕落と、人の目を気にするいいカッコしいでしょう。
このちいさな手のひらに、どれだけのものがつかめるというのか。

非力であること、無力であること、手のひらがちいさいこと、
きちんとわかっているつもりです。
だから、躊躇するなかれ。躊躇なんて立派な次元には程遠い。

まあ、とはいえ。

あと一冊は書きたいなあと思います。
「これを書くのだ」という確信をずぅっと探しています。
こんな言葉では尽くせないことを自覚するが故の言葉を、
なんとか紡ぎたく存じます。

たはは。




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言葉は尽くさず。 [つれづれ]

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言葉が巧みになればなるほど、言葉が不自由になる。
お久しぶりです。
これは30代に習っていたカラーセラピーの先生に注意されたこと。
先生とは結局たもとを分かちたので善い思い出ではないけれど。
それでもいまも心に刻むフレーズがいくつか残っている。

書く者としては語彙は多いに越したことなく、本もしっかり読み、
さまざまな文体に触れて喰らい、咀嚼して自分のものにしたい。
新しい言葉はなかなか無理だけど・苦笑、それでもエンタメとか書けば、
それなりに得る。なのに。

言葉は巧みになるほど不自由になる。
初めに言葉があった、は、キリスト教ヨハネの福音書だったか。
違う、そうじゃない。
この感情をなんと名づけよう、ああ、悲しいのだ、うれしいのだと、
言葉を与えた途端に薄っぺらく硬くなる。
初めにあったのは「自分がいる」発見と「あなたがいる」発見と、心だ。

賢そうな原稿はときに喜ばれるけれど、本来は五歳児でも理解できる、
そんな言葉と文脈で述べるのが正しい。

冒頭の写真は「玲瓏(れいろう)」という石。黒曜石、オブシディアンの中でも、
とくに珍しい青い縞の入ったもの。北海道の十勝川流域が採取地なのだとか。
黒曜石はガラスに似た性質で、割ると鋭いことから、
古代より矢じりの先などに使われてきたそう。火山岩の一種。
この石、ほしいな。

玲瓏は、「玉や宝石などが美しく輝き、冴え冴えするような音を奏でる様子」を
指すとか。ああ、これは「音」の言葉なのだ。

音。わたしの名前は、音。

玲子とどうして名づけたの?と子どものころの記憶を手繰り寄せると、
「姉ちゃんは「珠」でしょ。この世で一番美しい玉のことよ。
そしてそれが鳴ったときが「玲」なんよ」。だれの説明だったか。
母か、祖母か。
いま聞いても「しらん、忘れたぁ」とのたまわれるが。

わたしは音。

言葉も音、音には違いないけれど、巧みすぎると不自由になる。
言葉を尽くして説得したところで善い結果はなかなか無い。
で、あるならば。

ココロという宝石を触れ合わせ冴え冴えと鳴る音になろう。
形なく、生まれると同時に消えていく音になろう。
音になろう。

・・・あ。これも野田秀樹(夢の遊眠社)の台詞にあったなあ・笑。



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