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第三の選択。 [つれづれ]

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ようやっとエンジンがかかり始めました。
テヘ、続編とかいっちゃうよ、テヘ。

白か黒か。善か、悪か。
右か左か、こっちかあっちか、行くのか行かないのか。

二元論はそろそろ淘汰するそうです。

だったら、第三の選択も、あり、ってこと。

たしかに二次元の判断は視野が狭くなりますね。
きっと日常で嫌というほど感じる方が多いのではと察します。
かく言うわたしもそうなのであって。

二次元から自由になる。うん。目標です。

「自由になる」という表現は、一見難しいのだけれど、
使い慣れると「とってもよくわかる、それ」になります。
ぜひ、試してみてね。

二元論から自由でありますように。
恐れや束縛から自由でありますように。

自由って、なかなか手こずる。
「フリーランスって自由でいいよね」とン十年言われてきたからわかる。
自由って、自立ってこと。
自分で自分を律する覚悟がないと無理でやんす。

ま、わたしが自分を律していられるのかと問われれば「?」ですが、
すくなくとも。

自分で多くの責任を取ってきたし、これからもそうだし、
だからこそ確固たる、あるいは信ずるに足る関係を僅かながら得てきた。
お相手にとっても。

あいつは信用に足ると。
評価いただけるように努めてきたつもりです・笑。

あいや、努めるとかじゃなく、自然とそーなのだよ。
肩書の一切ない「自由」。危うい「自由」。愛する「自由」。


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緊急事態。 [ぐだぐだ]

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世界的パンデミックにより緊急事態。
いよいよ東京には「灯火管制か!?」という要請まで出そうです。
灯火管制とは、主に戦時中にあった「灯りを消しなさい」令。
人々の日々の暮らしの営みを「消せ」です。

いま、五輪の聖火リレーはどこを走っているの?

ちっともニュースに出てきませんね、あえて伏せているのでしょうか。
上の写真はうちのベランダから見下ろす場所。
ここ。
五輪の輸送バスとかの駐機場になるらしいです。

緊急事態だのまんぼーだの現代版灯火管制だの言ってるわりに、
着々と五輪の準備が進んでいます。ついこの間まで、
聖火リレーの伴走の練習とかしていましたよ。
ちまたでは感染拡大の第4波とか言いながら、ちゃっかり練習している。

あまりのバカバカしさに反吐が出そうです。

国とか、政治とか、いうものは、こーゆーもんなんでしょうか。
民意とかちっとも注意を払わない。
某都知事はなんとしても五輪がしたいのでしょう。我が功績として。
「レガシィになる」といってましたが、まさしく「負の遺産」確定。

まずは、わたしたち、冷静になりましょうね。

我(自)と彼(他)が接すれば必ず争いが起きます。
たとえば電車の座席に座って隣の客がグイグイ押してきたら
「んにゃろっ!」と腹が立ったりしますよね。
わたしとあなたのような(国からすれば)ちぃちゃな存在でも
闘争は起きるんです。
自分より恵まれてそうな他人に嫉妬したり、足を引っ張り、
日々の争いは粒粒しつつも多彩に大量です。

それが、結果、空気になる。

民意とか、世相とか、いうものになる。

恐れるべきは、自分も加担しているかもしれない「空気」です。
正誤のわからない情報に翻弄されたり、かく乱されたり、
持っていかれたりしていると、望まぬ「空気」に吸収されてしまう。

ニュースで街角インタビューとかされている「怖いですよねえ」発言に
踊らされないようにしましょうね。
もちろん、あえてそこに同調ダンスしたいなら否定はしません。
ただ。

同調圧力はそろそろ息詰まると思います。
右に倣えではやっていけないときが間もなくやってくる。
もう、来ているかもしれない。

新型ナンチャラというのが世界人口の何割かを奪おうと
目標数値とか決めているなら、いくらでもわたし、捧げますよ。
それでおさまるならいくらでも。いますぐでも。

八百万のむかしむかしから、わたしたちは疫病も神として、
荒魂(あらみたま)を鎮めつつやってきました。
いまこそ、八百万の智慧を思い出せ。


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いよいよ、伝え方。 [ぐだぐだ]

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あえて照明をつけていないのだろうトンネルを潜り抜け、
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その先にあるのは天井いっぱいのカレイドスコープの世界。

カレイドスコープは、万華鏡のこと。
子どもの頃にどこか温泉場か祭りの屋台で買ったような
あーゆー万華鏡がまた欲しくなった。

いよいよ「伝え方」に細心の注意を払わねばならない時期に
突入したのだと感じる。
たとえばわたしが執着するふるさと呉の戦争の歴史。
とある会報誌にこんな記載があって危機感を抱いた。
「孫が、いまのコロナ禍はおばあちゃんの戦時中みたいじゃない?と
言うんだけど、あの戦争はこんなもんじゃない。
戦争を知らない人間が増えすぎた、困ったもんだ」。

それは、先の大戦のご苦労を心身に体験した方の言葉、ではあるけれど、
孫が知らないのは当然であって、想像できないのは教育やマスコミの
罪もあり、「知らない」ことは決して悪ではないのだろうに。

孫にも、同じ経験をさせたいのだろうか。

いよいよ「伝え方」が問題になってくるのだと焦燥する。

万華鏡は瞬間瞬間が最新であって、二度と同じ模様はあり得ない。
まるで毎朝の陽光と影のように、打っては引く海の波のように。
シャボン玉のように。

二度とありえないものをどのように伝えたら実感になるのか、
せめて追体験になるのか。そうして学べるものはなんなのか。

いよいよ「伝え方」だよ。
わたしはへその下のほうをぎゅうぎゅう結んで挑むよ。


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すこしずつ。 [呉本くれぼん]

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しばらくエンジンのかからなかった読書熱に、
ようやっと火が付いたようで、ここのところの読了。
信頼する方からのご推薦本と、気になった古書。
古書・・・?
どうなのかな。
戦後30数年で出版された書物は「現代」に読んで違和感がない。
それだけ。
わたしたちはうまく進化できていないのかな。

「戦争を忘れたら、そのとき戦争になる」と。

訳知り顔の若年層がのたまうとむかむかする。
そもそも君は、わたしは、戦争なんて体験してないじゃないの。
命を張ったことが一度でもあるのかよ。

わたしが「死ぬな」と思ったのは過去に一度だけ。
まだ30代の前半、とある信号もない南の小島に仕事で滞在し、
あろうことかレンタカーで運転していた。
信号もないような南の小島だからジャングルも旺盛で、
ある日わたしは「いっちょ肝試し」と車で森に踏み入った。

後輪が崖の端をとらえて、いまにも滑ったら転落するとこだった。
慎重にアクセルを踏み、後ろではなく前へと祈った。
生還したとき、しれっと、何事もないように振る舞ったなあ。

恥ずかしくて言えなかった。

たったそれくらいの経験しかない、あるいは飛行機がガクンと揺れた程度。
(わたしは大変に飛行機が怖い)
この命は致死率100%。今日か明日か、10年後かはわからないけど、確実。

いまの読書熱はピントのずれているように映るかもだけど、えへん、
『続・呉本』の支度です。やっとエンジンが入りました。

フリーライターのこれまでの仕事量が格段に減ってアタフタして、
それでも、エンタメにバタバタしていた頃より意識がしっかりしています。

書き終えるまでは、「これが書ける」とどんな原稿にも自信がない。
いつだって初心で、だから挑んで、確証のないこの営みをまっとうする。

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