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わたしのプランでは。 [ぐだぐだ]

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あとからならいくらでも言える、の前提のもと。
五輪ですね。

やっぱり母国の成り立ちを示さなければならないと思うんです。
わたしのプランでは(きゃっ!叱られるのを承知です)。

オープニングは、古神道の祓いの儀式で開始すべきです。
場と時を定めて、清め、後世に位置付ける。
そして、天の岩戸、ベタでもそこからなのですないかと思うのです。

岩戸にお隠れになった天照大御神の気を惹くために踊った、
アメノウズメノミコト。上のイラストです。
我を忘れるほど無我夢中に、恍惚と、全身をはだけて。
このアメノウズメノミコトの舞を、日本全国の祭りで表現する。

踊り狂い、狂い踊って、清められていく。

そこに猿之助さまの宙づり。重々しい衣裳から始まって、空をかけて、
ハッと衣裳が落ちたら「ナウシカ」。

久石譲の音楽を使わずして、と思ったの。
ジブリが伝える自然、共存共栄(真の意味での)、命、浄化。
思いきり表して。

そこに加わるのは、銀河鉄道999でもいいし、ドラえもんでもいいし、
ピカチュウでもよくて。
次第に現代の日本へと舵を切っていくの。森山未來が共演してくれたらな。

途中、葉加瀬太郎の劇的なヴァイオリンとか、
一夜限りのSMAPとか(一夜だけ集ったらめちゃ高評価と思うけど)、
AKBでも乃木坂でも欅坂でもいいけど(失礼!)日本の応援歌。
つーことはモーニング娘。でもありだね。

こうなれば、ドラクエでもなんでもゲームの入場曲はあり、生きる。
プラカードはあんなちゃちいのじゃなく、ドラクエキャラをかたどる。

最後の聖火灯火は、東日本、熊本、西日本のかつての被災地からの人々。
その年に生まれた子、懸命に生きた人、そうした人々を複数で。
わたしの大好きな吉田沙保里ちゃんと彼らが手をつないで入ってきて、
複数に点火するとそれがするする昇ってひとつになるの。

そこに、天の岩戸が開く。

できれば愛子さまにお出ましいただきたいけれど・汗、
いかなゆーても無理だろうから、大きな光の玉にして。
白い光の玉の中で、だいだい色の聖火の炎が舞うの。

このたびのみなさまも素晴らしくて一人ひとりに物言いはないけれど、
いかんせん総合指揮が不信すぎた・・・。
こーゆーのって「アンチ」だって指さされるかもだけど。

意見は持っておくんだ。


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負のレガシィ。これってなにが起こっているの? [ぐだぐだ]

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うちのベランダから見下ろす駐車場には、
五輪関連の車両が停まっています。なんか閑散としてるけど。

東京の中央区は晴海にあるので、五輪のど真ん中ですが、
台風の目は空洞なのか、案外と静寂です。
今日から四連休だったなんて知らなかったしね!
海の日だか山の日だかを動かしたのはまだわかるけれど、
本来、戦後すぐの東京五輪を象徴する10月10日まで持ってきたなんて、
信じたくない。

こーゆーことは日々考えていても発信しないテイでした。
それでも。
さすがにいまはひどすぎる。

相次ぐ辞任劇は言論統制とほとんど違いはないだろうし、
それは毎時のニュースやワイドショーも以下同文であって。
お上がどうしろと言っているのか、まったくわからない。
つじつまの合わなさ加減は半端じゃないです。

復興を象徴するこれがレガシィ(遺産)になると。
某都知事はのたまいました。
いま、それが、「負のレガシィ」として現実になってしまった。

ただ、ただ、恥ずかしい。
後世の日本人に。世界に。ただ、ただ、恥ずかしいです。

あの、この状況下の夏は二度目ですよね?
あの、昨年、わたしたちはなにを学んできたのでしょうか。

今日、この環境下ならではのリモート取材というのをしました。
お相手の女優さんは「直接お会いできればもっと伝えられたのに」と、
言ってくださった。かなり著名な方ですが、そのお心に感激しかないです。

幕は上がるのでしょうか――。

ご心配をされていました。うん、俳優さんたちだって心配なんだよ。

「幕は上がると思います、必ず上がります。だって、
わたしたちは学んできたはずです、そろそろこうした中でも
実行していく世の中にならなければいけない。わたしたちは、
学んできているはずなんです。学んでないなんてないです」

おこがましくも、言いました。
そうよね、そうよねと、彼女も言ってくれました。

台風の目のなかにいるような静かな静かな晴海で、
窓の下を遠目に眺めながら「ダメよ」と言い聞かせているイライラが募る。
いいえ。
イライラなんてしません。

こんなときだからこそ、「自分の意見」を持つ勇気ですよね。と。
午前中の石川真理子先生のご講座でも話し合ったし、奇遇にも、
午後からのインタビューでもそういう話になった。

あ。

しかし、そいえば、「今日のインタビュー取材で出ていた“事件話”は
他の作品のことでもありますし詳細は書かないように」と、
取材後に連絡かありました。・・・は?

これも言論統制の一種、すね。

いや、こーゆーのには慣れていますよ、芸能人相手だと毎度のことです。
でも。
ご本人は語られたんです、それによって表現したいことがあったわけです。
それを。
阻止する理由や権限があなたに在るのですか。それはなにに由るのか。

この息苦しさをどうしたもんだか。
わたし自身は別段いま、明日、亡きものになっても享受するけれど、
その瞬間までは抗うのだなあ、と。そうしたいわけじゃないのに、
抗わざるを得ない世であり、性分なのだと。諦めますっ・笑。

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次は、ない。 [つれづれ]

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先日訪れた鹿児島の宿からの景色。
こちらは夕陽向きの窓でした。
朝陽も好きだけど、夕陽も好きよね。
一日をかけて熟した柿のようで。

次は、ないと、いつも思う。
「せっかくだから」というフレーズはあまり好きではない、
たとえば、旅先のせっかくだからお腹を無理してでも食べようとか、
生涯唯一の結婚式だからひとつでもランクアップしようとか、
そういうのはぜんぜん好きではないけれども。

それでも、「次はないなー」と常に思うようにしています。

今回はダメだけど次は必ずね! というのは、気休めでしかない。
気休め? うーん、違うな、もっとちょうどいい表現があるはずだけど、
思い出せないや。

次はないんだよね。
いつでも、いまがすべてで、いまが最期。
もちろん。
明日も無事に目覚める可能性が高いけれど、可能性でしかなく。
命があればこそ、という考え方もわたしにはないので。

自分自身、明日やればいいやって自堕落が多くての反省です。
明日できることは今日しない、というのも過去に上司から習った。
明日できることは明日やる、今日だけのことは今日する、そういう意味なのかな。
あるいは。
ただただ無為に残業せず飲みに行くぞってな号令だったかもね。

黄昏時の黄昏泣きみたいな日々の反省と共に、次はない、
これをいま、抱いていようと思います。
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