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若い? 若くない? [つれづれ]

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『呉本』『江田島本』の活動を通し、
さまざまに年上の方と遭遇します。
これまでのライター仕事だけでは出会えなかった人々。
私的なコミュニティでもすこしずつ、人生の先輩に会う。

「あなたはまだ若いんだから大丈夫よぅ、ふふふ」。

お姉さま御夫人や、お兄さま紳士に、そう言われる。
あいや、自分を若いと思えなくなって辛いっす、てなときに限って。
言われる。

でも、「いやいや若くないですから」とは答えない。
はい、若輩者です。今後ともご指導のほどを。
フラなんかでお姉さまに言われるときは「若くていいわねー」要素が
強いのだけれど(踊り方にしろ、衣装の見栄えにしろ)、
「まだまだお姉さま方のセクシーダイナマイトには届きません」。
ほんとにそうなのだから。妖艶さには程遠い。

わたしは若い? 若くない?

絶対に年上だ!と思った人が、このところことごとく年下である。
うひょょょょ・・・まずい。
わたしに自覚がないということ? 
傍から見たらこんな感じってこと?( ⇐ 失礼を承知で・・・)
わたしは若い? 若くない?

先日、二回り近く年下の方と親密に話しました。
むかしの体験を聞くということ、書くということ、戦争ってなんだ。
そういう、わたしたちにとっては非常に核心部分のお話。
同志です、そして、同士でライバルです。
聞いていて「若いなあ」と思いもします、そう思う自分がクソくらえです。
「あなたはまだ若いから」と、お姉さまやお兄さまの真似をしかける。
違うでしょう? わたし?

その彼女が「若い」のは「彼女自身の経験年数」であり、
わたしとはまったく関係がないこと。比べることではない。
たぶんやっかみだ、わたしも彼女の年齢で気づきたかった、という。

ある人が、「いまの瞬間が自分人生で一番若いとき」という表現をします。
いまが一番若くて、いまは、つぎの瞬間より一瞬年寄りになるってこと。

若いとか、若くないとかを、自分と比べず使えるようになりたい。
わたしは若い、
お姉さまやお兄さまの人生経験には逆立ちしてもかなわない。

いつだって目の前の人と新鮮に話す。
いつだって目の前の人がわたし人生で一番新鮮なとき。


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失敗の備忘録。 [つれづれ]

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今日は趣向を変えて失敗の備忘録。

失敗の・・・?
備忘録・・・? わざわざ残さなくていいんだけど・笑。
なかなか面白いやん、と自画自賛(失敗で自画自賛もヘンだが)。

【カフェオレに追いミルク】
つい先日、新規のお仕事のクライアントさんとランチした後、
わたしを含む三人のスタッフ陣は打ち合わせと称してお茶タイム。
椿屋珈琲店。そこそこ高級店ですね。
わたしはアイス・カフェオレを注文、ひとりは紅茶、ひとりはアイスコーヒー。
運ばれたそれぞれの飲物を前に頭を寄せてあーだこーだ。
と。
「・・・あっ、間違えた!」。
叫んだのはわたしです。カフェオレにガムシロップを注いだついでに、
アイスコーヒー用のミルクをどくどく足していました。
「ぎゃははー」。
二人の爆笑に包まれながら、「飲みゃ同じ」、しれっとしていると、
「先ほど間違われていたようなので」。
メイドみたいな制服のおねーさんが新しいアイス・カフェオレを、
しずしずと出してくれたのでした。
「・・・」。
「ぎゃははー!!」。追い笑い。

さすが。椿屋珈琲店はちがいますなあ。

【まるこれいこだと思います】
まだ30歳代前半のがつがつライター仕事をしていたころ。
当時はウエディング雑誌の花盛りで、わたしも従事していました。
得意(?)なのは、実際の新郎新婦や、そのご両親へのインタビュー。
電話をしてお話することもあります。
すると、お電話が留守番のときもあるわけです。
「ぴーの合図のあとにご用件をどうぞ」。緊張しますよね、これ。
「も、もしもし、〇〇さまの携帯電話でしょうか。
はじめてお電話いたします。
〇〇ウエディング会社さまからご紹介いただきましてお電話しております、
〇〇さま、失礼いたします。〇〇ウエディング雑誌のライターの、
(ええっと)まるこれいこ・・・だと思います」。

・・・ん?

ぎゃー!

でしょうか、ででして、いただきまして、おります、ごわす。
ただでさえ大の苦手の電話口で丁寧語をもつれるほど連発した挙句、
「まるこれいこ、だと思います」。ええええええええええええ。
だれだ、きさまぁ!

「わたくし、まるこれいこ・・・でしょうか」
と、吹き込んだこともありました(別の人)。
聞いてどうする。

かぁーっと頭に血がのぼって恥ずかしさのあまり、
訂正せず、電話を切る。
ううーん。
「まるこれいこだと思います」「まるこれいこでしょうか」
留守録再生で突然言われ、
どんだけ困らせたやら、穴に入りたい。


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集団行動。 [ぐだぐだ]

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集団行動が苦手です。
とくに「なにかを感じましょう」的なお出かけ。
いい人のふりして「感じている」風にしてしまう。
感じるかもしれないし、感じないかもしれないし、
時間がうんとかかるかもしれないし、今日じゃないかもしれない。
なのに、隣の人と一緒のようにしてしまう。
比べてしまう。強迫観念のように。

でも、だれかと一緒も好きです。
着地点のない無駄話を延々と続けたり、ただそこにいたり。
いるだけだったり。

たぶん、把握できる範囲が狭いんです。
手に触れて、眼が見えて、カラダから20センチのオーラをさわって、
そういう範囲しか意識が届かないんだろう。
ちっぽけなもので。。。

人に見られたいのに、見られたくない、という逆さまの。
勝手ですねえ、わたしはいつだってお相手を見つめているのに。



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特攻、備忘録として。 [呉]

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これは以前、呉で撮影した潜水艦。
まったくの現代ですよ、当然ですが。

最近、空にしろ、海にしろ、特攻の話に近寄っています。
さまざまな機会があり、考えさせられる。

ふと。
『呉本』第二章にご登場のおばさまに聞いた話がよみがえる。
おばさまは学徒動員で、人間魚雷「回天」の座布団を縫われた。
ある日、軍港を囲う目隠しの布がはためいて、隙間に見た。
潜水艦の上に鉢巻き姿の兵隊さんが数名立ち、じっと、
陸に厳格な敬礼をしていた。

特攻に行く人かねえ、ああ、この世であんな姿は二度と見たくない。

80歳を過ぎた身にも夜な夜な悪夢が襲い来る。
ああ。
今夜おばさまが夢を見なければいいなあと、口を開かせてしまったわたしは、
こころの底から願いました。

特攻の、備忘録として。

特攻の記念館を訪れると、空にしろ、海にしろ、
散華された方々の遺書や遺品や、若々しい写真がある。
でも。
生き残ってしまった人、乗り込んだ直後に終戦になった人、
年齢が足りなかった人、送り出した人。
あのとき命が終わらなかった人々は、遺書も写真も名前も掲げられない。

生き残ってしまった、という、後悔の念。

どれほど苦しかったろう。どれほど生きた心地がしなかっただろう。
後ろ指をさされただろう。噂話に気が狂っただろう。

いま、存命してくれた最後の方々に、お話を聞く最後のチャンス。
どれだけ大変な時代だったか、状況だったが、しかし、
いま聞けるお話は、これでも最高値じゃない、という。
なぜなら。
本当の本当に大変だった人たちは、亡くなってしまっているから。
と。(大和ミュージアムの戸髙館長が教えてくれた)。

存命の方々は、自らの真実の物語とともに、亡くなった友の話をする。
親兄弟の話をする、同期の話をする。
そうして、亡くなった彼らは物語の中に生き続けてきた。
いま。
存命してくれた方々とともに、生き続けた。

名もなき、と、よく言うけれど、あのね。名前は全員にあるんだよ。

だれかがその名を呼ぶ愛しい名前があるの。
わたしにも、あるの。

亡くなっても、生き残ってしまっても、生まれ来る者も、名前を持つの。
生まれ得なかった魂だって、名前を持つのが多いんだ。

亡くなった方たちと優劣なく、存命してくれた方たちに、
想いを寄せていく。大事な物語を、名前を、老いた写真を、記していく。

これが。

わたしが言う、「後悔の想いも受け継いでいく」こと。

生きているうちにもっと聞いておけばよかった、その後悔も、
受け継いでいくんだ。

以上、わたし自身の備忘録として、です。



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気絶。 [ぐだぐだ]

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年に一度ほど、気絶する日があります。
今年は今日がそれだったかな。

泥のように眠る、という表現を何年か前に知り、
ああ、そうだ、そんな感じだと、ひざを打ちました。

今日は眠りはしなかったけれど、わたしのすべての機能をとじて、
ただ、ただ、昏々と。
肩の荷物をすべておろして、昏々と。
昏々と。

夢なのか、過去の体験か、単なる想像か、嘘か真か。
いろいろな思考がめぐって、ふと、ここはどこ。
あなたはだあれ。

そろそろインプットした事々を、アウトプットできる時間でしょうか。

息を細く止め、筋肉を硬直させ、それに気づいて、ゆるめる。

繰り返し。

わたしはだあれ。



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崩れた。 [呉本くれぼん]

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このたびの帰呉で入手できた、さまざま。
いただいたり、貸してもらえたり、購入したり。

ぐらッと。崩れた。

なにが崩れた、帰呉前の構想が崩れた。
呉本、江田島本と編んできて、「呉本続編はこんなラインナップで」と、
事前調査(まあ、ネットとか本とか見る程度ですが)により多少見えてたつもりが、
現地にカラダごと赴き、さまざまに触れていくと、いや増す。
ああ、もっとこんなことが知れたらいいな。
うん、ここがまだだったから行かなきゃな。
ほえ、あれはああだと想像していたけど、こうなのか。
ことごとく予測は崩れていく。

そもそも。

最初の呉本もそうだったんだ、いったいなにができるかわからない、
どうなることやら不安がいっぱい、自分の器からあふれて泣きそう、
それで、
いただいた大切な想いの取材をぜぇんぶ並べて、眺めて、ハマって、
うんうん苦しみながら構築した。

そこだ。そこに、立たなきゃ。

なにがどうなるか、まだわからない。
一回こっきりの取材でどうかなるなんておこがましい。
期待と裏切りとを自分の中で繰り返して繰り返して繰り返して、
ちゃぶ台をひっくり返して、耕して、また積み上げていく。

崩れることを恐れない。増えてくことを恐れない。
まっさらのイチから。

ははは、わたしは、羽根があるのに地べたを歩くちょうちょ人間なのだから。
インチキしないで、舐めるように、撫でるように、進んでいくんだな。

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ノー・ペイン。ノー・ゲイン。 [呉]

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鹿児島県鹿屋市からはじまった今回の旅、
ふるさと呉に至り滞在10日間を経て帰還。
遺構や史料館を見学したり、さまざまなお話を伺ったり、
母校の宮原高校で講演したり、ついにホテルの人に面が割れたり・笑。
KUREP+さんで官民ごちゃまぜの情報交換があったり、大和サンドを食べたり。
偶然教えてもらった特攻所属経験をお持ちの90歳おじさまに会いに行ったり、
新神戸で下車して熱い想いと貴重な資料と心づくしのお土産をいただいたり。
中國新聞にのっけてもらったり。
マッサージに行ったり、屋台で飲んだり、ママんとこ行ったり。

いつも、呉には、全力です。全身全霊といっていい。
ほとんど命を懸けている。
とはいえ、すこしずつ耐性はできてきた。今回は発熱せずに帰京したから。

ノー・ペイン。ノー・ゲイン。

痛み無くして、獲得はない。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、ともいうのかな。ちょっと違うか・笑。

ノー・ペイン、ノー・ゲイン。ああ、その通りだ。
呉の探究に無傷でいた試しはない、いつも傷だらけになる。
はじめて知ることの衝撃、新たな視点の緊張、自分が増えていく恐怖。
ショックや戸惑い。無傷でいられる、わけがない。

それでも。

やらない、という選択肢もない。傷つくと知っていてわたしは行く。
ノー・ペイン、ノー・ゲイン。

ノー・ペイン。
ノー・ゲイン。





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