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慰霊から、顕彰へ。 [呉本くれぼん]

ゴーツートラベルが使えなくなる前に(!?)、
鹿児島県の知覧に一泊で行ってきました。やや強行。
さまざまな事々、こころなど、受け取るまでいけないけど「触る」感じ。
なにから書いたらいいのかな・・・。

知覧は、旧陸軍の特攻の飛行場があったことで有名です。
特攻の飛行場の前は、飛行を学ぶ「教育隊」でした。
全国から飛ぶことに憧れ(あるいは教育課程の上に)集い修練した
若い兵隊さんたちが、死ぬことを前提に飛ぶために再度集合した場所。

知覧灯篭①.JPG
敵軍の沖縄上陸を阻まんがために飛んで亡くなられた1036つの命と
同じ1036基、建てられた灯篭。比較的新しげなのには兵隊さんかな?
可愛らしいお地蔵さんみたいな装飾が加えられている。

知覧特攻平和館.JPG 知覧三角兵舎中.JPG
知覧特攻平和会館にはたくさんの遺書が展示されています。
広島のもそうだけど。なぜ「平和」と入るのだろう。
広島のは広島平和記念資料館といいます、原爆資料館の正式名称。
知覧特攻資料(史料)館、知覧特攻顕彰館とかで、よくない・・・?
お隣は「三角兵舎」という特攻隊員さんが飛ぶ2、3日前に到着して
滞在した宿舎。半地下に掘られた部分が寝床で、地面からにゅっと三角屋根が
出ているものです。

知覧零戦.JPG 知覧マルレ.JPG
資料館には、海軍の零式戦闘機の海中から引き揚げられたものや、
陸軍の海上特攻、マルレの模型もありました。

富谷旅館.JPG
宿泊は、陸軍の指定食堂として多くの隊員、特攻隊員が訪れていた
富屋食堂、からの、旅館になった「富屋旅館」。鳥濱トメさんが有名です。

ほかにもいっぱい見学・研修しましたよ、今回は「研修」だったのです。
「知り」に、「学び」に、行きました。

ほんの一泊二日でなにを得られるというか、おこがましいけれど、いくつか。

①これからは、慰霊から、顕彰に、なるのではないか。

「慰霊」は文字通り、亡くなった方の霊を慰めることです。
似たような言葉に「招魂」があります、霊を招く。
亡くなった方の霊を慰める行為だけれど、誤解を恐れず言うなら、
死者ではなく、生者のための行為なのではないかと思うのです。
想いを募らせるのは「生きているから」できること。
かつてを偲び、死者に二度目の死を与えないよう(記憶からの抹消)、
そして、かつてを偲ぶことで悲しみや憤りのわがこころをひととき癒す。
個人の法事の場合「五十回忌が区切りではないか」という話を
聞いたことがあります。この世から偲ぶほうもすっかり年老いて、
中にはいなくなって慰霊されるほうになっていくからです。

けれど、このたびの研修でいくつか聞くお話の中に、
「戦後、しばらく知られなかった、あるいは取り上げられなかったのに、
近年(十数年ほど)遺品が出てきたり、改めて史実がわかり、
当時の人が語られるようになった、慰霊碑などが建立された」。

なんでだろう?なんで、近年なんだろう?
つらつら考えるに、わたし個人の意見ですが、
やっと、辛い思い出を語れるようになったのではないか。
やっと、閉ざしていた口を開いてもいいくらいの心境になったのではないか。
あるいは。
いま言わなければ無かったことになるのが忍びないのではないか。
当時を知る人が鬼籍に移りつつあるいま、わずかな機会なのではないでしょうか。

さらに、そうなると、「慰霊」「招魂」はもちろんだけど、
「顕彰」になっていくのではないか、と思いました。
顕彰(けんしょう)とは、「顕」も「彰」も「明らかにする」意味だそう。
つまり、「ある人の功績や功労(基本解釈としては善いこと)を、
明らかにして、人々の前で褒めたたえて、世間に周知する」。

子孫、というつながりは絶えないと思うけど、
戦争や戦争体験者に直接関わる人はいずれゼロになる(二度と戦争がなければ、ね)。
と、すると、
死者を身近に偲び、偲ぶことで我をも慰める、というこころの動きはなくなる。
でも。
語り継ぐ、史実に刻む、そこから学ぶ意味で、
失ってはならない史実が、人物が、物語が、時間が、あるわけです。
顕彰しかないんじゃないかと、ふと、思いました。
(まだまだ思考の入口なのでこれから熟考・調査しますけどね)

②自分を主語にすることができるようになったかな。

わたしのごく個人的な課題は「自立」と「自分主語」。
どういうことかというと、「自分に由る」自由を実感していくことです。
たとえば、周りがやかましいから集中できないとか、
わたしは他人がいると眠れないのよとか、みんながそうしているからしようとか、
自分以外にわたしの主導権を握らせるようなことはしない、ってこと。
ハッキリ言って、集団行動は苦手、じゃなく、きらいです。
たぶん、大変に和を乱す存在です。
それでも、融和と迎合(または同調圧力)は違うんだってこと。
これでも、一秒一秒、確かめながら過ごしてみました。客観性とも言うのかな。

③陸軍とか海軍とかをいうのはそろそろやめない?

どうやら海軍びいきと見なされるわたしに言えることではないけれど、
陸軍の話をした、海軍の話をした、海軍の人に指摘されたとか、
いまになってそういうのはやめようと、わたしはやめようと思った。
史実として、基本知識として、違いは押さえておかないとダメだよ。
知覧は陸軍の特攻、鹿屋は海軍の特攻。零戦は海軍の飛行機。
マルレは陸軍、震洋は海軍。
陸軍と海軍は、そりゃ、かなり仲が悪かっただろうし、
そもそも持てる力に差があった。史実は史実として知る必要があり、
そこにジャッジを下す権利は現代のわれわれに一切ないの。

富屋旅館の女将さんの講話は、ともすれば「お説教」で、
最初はずいぶん居心地が悪かった。でも、なんで居心地が悪いんだろう、
ああ、自分の腹の中をぐりぐりされるからなのかもしれない、って。
だんだんそう思うと、女将さんの怒りや焦燥のようなものを、だんだん感じた。

伝えていく在り方は難しいけれど、原発や宇宙開発やIPS細胞なんかより、
ずっとずっと懸命に「伝える開発」をしていこう。

伝え間違ってはならないよ。トメさんの声は、どんな声だったんだろう。





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