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聴こえる、聴こえない。 [ライター仕事]

我が家表紙.jpeg
ネットやお近くの書店さんで絶賛販売中の一冊。

生まれながら聴こえない女優と、
そんな彼女に一目ぼれして呆れるくらい諦めなかった夫(俳優)の、
エッセイ本。

当初はネット販売のみだったのが、予想外に(!?)好評いただき、
書店さんや、関連映画上映の映画館さんでも販売が決まりました。

でね。
いま、故郷の広島でもなんかイベントできないかなーと企画中。

もし、もし、うまくいったら、チョーいいとこです!
その際には告知しますので、ぜひご参集くださいね☆彡

アコちゃん(忍足亜希子さん)、この本の主人公の一人に
お会いできて、この本にも深く関われて、本当に幸いでした。

聴こえる? 聴こえない?

ふと気づき、ずっと思っているのは、
アコちゃんの天然ぶりは神様のご加護ではないか、ということ。

いま、騒々しく、不必要で、いっそ毒になる情報が蔓延し、
なぜか人々はおのれからそれを求めていますね。
どんな場面も猫背でスマホを見ているのが証拠です。

バカじゃないの、と、思います。

アコちゃんは世間の喧騒が聴こえないぶん、
自分に必要な、本当に必要な声だけを聴いていると感じました。
彼女ね、ほんの一週間も違わない生まれなの、まるで双子!

まえに、つばの広い帽子をかぶって、なんだか周りの音が消えて、
後ろからくる車にもときとして気づかない風だったんだけど、
あれ? と。

ふだんからこんくらいでいいんじゃないの? とわかった。

わたしたちは雑音を聞きすぎる。
意図せぬ音に惑わされておのれとは違う意志を見間違う。
信じているそれは、本当に自分からくるものですか?

なんだか不思議なめぐり合わせでアコちゃんに出会った。
わたしを執筆者として見つけてくれた担当くんにも感謝しかない。
彼女の天真爛漫さは、生まれながらのものにして、
横やりの応酬の中に耐えて磨き上げられたものだと思う。

彼女の。

聴こえないぶん、聴くべき声を聴いているのよ、という、
なんかそーゆー本も書きたいと思ってます、テヘ☆彡

続・呉本とは周波数の違うとこで、否、あるいは同じ土俵で、
わたしが生きていてもいい間に書けたらいいな。

あ。
さんざん求愛してこれはわたしの一方的なんだから・汗。
近々アコちゃんに聞いてみるね!



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最期の声を。 [呉本くれぼん]

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短く帰呉していました。いまは晴海。
これは呉の両城(りょうじょう)という地域の有名な階段。

のぼらなかったけどね・汗。このたびは。
遥かだなー、と。思うよね。

低い山の崖に突如にょっきりと生えるみたいにして
家々がしがみついている景色は呉の特徴です。
なんか、しめじみたいだなー、と。思います。

平たい地からいきなりそそり立つ崖と家々にパンチを喰らう。

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なんとか次の執筆の意欲のわずかながら湧いてきて、
テーマを「最期の声と」に裏設定しました・爆。

内緒ね・・・!
カエルくんエルモ.jpg
もう四半世紀も一緒にいる子たちです。
どうだろう、わたしはできるだろうか?と尋ねる相手です。

いつもいつも常に力など無いと自覚せざるを得ない状況ながら、
いつもいつも常に喰らいついてみせるとなんの保証もなく思ったり。

今年はずんずんと帰呉していろいろ与えてもらおうと勝手に思ってます。
どぞ、よろしく何卒なのです。
最期の声はどこまでも私的なものとわたしは考える。
そうでなければ悲しすぎる。
たとえば明日死ぬとわかっていたらわたしは今宵をどうするだろう?

いつも通りに飲んで過ごす・笑。
会いたい人に、会いたいとだけ、なんとか伝える。
なんか、「途中」の気がする。

ええと。今月末にまた帰呉してずんずんやってみようと思います!


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コトバと、箱。 [つれづれ]

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ひさびさの東京芸術劇場プレイハウス@池袋。
野田秀樹氏のNODA・MAP『フェイクスピア』。
ふれこみでは野田氏ならでは「いまこそ、言葉」らしい。
「フェイク(fake)」+「シェイクスピア(Shakespeare)」の
タイトルからして・・・そうだよね。

緊急事態宣言下ではあるけれど客席はほぼ満、補助席も出てる。
ロビーで数分マスクを外して居ようものなら、すかさず、
「マスクを・・・」とスタッフさんが申し訳なさそうにジャスチャーしてきた。
この人たちが後から刺されたらやだかんね、しました。

しかし、マスク、暑っ!

2時間5分ノンストップ、体の芯からどんどん燃えてくる。
暑い、顔も背中もお尻も汗びっしょり。このエネルギー・・・なんなの。

わたしは野田氏の作品は「芸術作品」と思っています。
だれだれの俳優が出ているからとか、初舞台のだれだれ女優を観たいとか、
そーゆーのを遥かに超越。きっと役者たちも求められているのだろう。
役作りとかそーゆーのをぶっ壊して光の塊になって飛び出すことを。

ここからはネタバレもあるので、観劇予定の方は気を付けてね。

シェイクスピアのパロディなタイトルだからシェイクスピア物語の
登場人物なんかを役者に一人何役も振り分けてやるのかと思うじゃないですか。
(あ、思わない? 浅はかでごめん)
違うの。あいや、確かに「ハムレット」とか「マクベス」とかの
悲劇の要素たんまりなんだけど・・・、ストーリーの案内人は「イタコ」。

はい。
恐山とセットの、あの、イタコです。

そして、野田氏がもっとも心を尽くしたのは、36年前の日本にあった事故。
これ・・・、戯曲を書くのに相当いのちを燃やしたはずだ。

真ん中に立つ高橋一生くんは(なれなれしくてすまん)は箱を持っている。
灰色のちいさな、箱。
この箱は、パンドラの箱であり、山中に投げ出されたボイスレコーダー、
野田氏のパンフレットの言葉で言うなら「コトバの一群」。。。。

橋爪功さん、白石加代子さんと、重鎮がほぼ出ずっぱりという過酷さ。
村岡希美さんの特徴ある声とナイロンで鍛えられたセリフ回し。
川平慈英さんの勢い、大倉孝二くんの代役となった伊原剛志さん。
伊原さん、かなりのプレッシャーだったろうな。
前田敦子ちゃんはちいさな体でがんばっていた。
いつぞやからか野田氏はアンサンブル(群衆)を多用するのだが、
このたびのアンサンブルはめっちゃ迫力あったし、躍動していた。

野田氏いわく「一生くんは演技をしない」のだそう、なんかわかる。
ただ声を発していればどこへでも透明に重なっていく感じ。
以前、ドラマの仕事で一生くんのインタ(カコミですが)したとき、
おー、この人にあんま演技のことを聞いちゃいかんなーと思った。
なぜか。
直感、あるいは野生で言動しているのを、無理矢理こざかしい言葉に
置き換えざるを得ないから。めっちゃ小難しい演劇青年かと思ったつのっ。

そーゆーの要らない、野田氏の作品には。役作りとかいらない。
だから、
役者も本も演出も装置も衣裳も音楽も、ついでに客席も、
ひっくるめて「芸術作品」になる。

これまたむかし、野田氏にインタ(制作発表でしたが)した際、
なんの話の流れだったか、「書く、ということは孤独にならざるをえません。
それを恐れては書けないし、芝居を書くべきでない」のようなこと
わたしの質問に対しておっしゃってくれた。

――あ。

そのときから、「書くのであれば(野田氏とわたしの雲泥の差はあれど)、
自らを孤独に追い詰めなければその先の光はない」と腹をくくったんだがな。

ちょっと・・・忘れていた(逃げていた)。

はい。
で。

いま、この作品を鑑賞できて本当によかった、という列挙!

●ことばは不自由である。巧みになればなるほど空々しい。
 自分がずっと思ってきたことをもう一度思い出せ。
●声があるからことばなのか、ことばがあるから声なのか。
 はじめに言葉ありき、その真の意味を手繰る。
 言葉で名づけることの恐ろしさを自覚する。
●死者の声を聴け。
●ノンフィクションの生々しさをリアルなフィクションにできるか?
●いまの世のなんと上っ面なことか。自省も含めて。
 なんと茶番な。社会想念にからめとられるな!

●いちど、恐山に行ってみよう!

さすがライター、うまいこととを言うね・・・!は、誉め言葉じゃない。
もしもそう言われたら、ああ、ダメだとわたしは自省する。

うまいことを言いたいんじゃない。
死者と生者の声を言いたいんだ。

目に見えないことばを目に見える文字に閉じ込めることの重大さを知る。

続編を書かなきゃな・・・って思い始めたところに、
野田さん、ありがとう。


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