SSブログ

メンテナンス。 [つれづれ]

vyasa300.png

いやー、ひっさびさ、すぎ。

新型コロナになってから、わたしはメンテナンス期間を過ごしました。
たぶん、身も心もギリギリまできていた。それは、
すべては自分で自分を高めて追い詰めたからなのだけれど、
そうであるとすれば、なおさら、自分メンテナンスはせねばならぬ。

なんとー、ン十年ぶりだろうか。

フリーライターに独立してすぐくらいに一緒に仕事した彼女と再会。
当時はお互いにフリーライターだった。
彼女のほうがライター先輩で、わたしは憧れた面もあった。
知らない専門用語を彼女が知っていたり。
歳も近く、わたしは彼女への憧れを(内心では)隠さないことにした。

ん十年ぶり再会して、メンテナンスしてもらってきた。
もうね、「追い詰めない(自他とも)」が効いた。
熱をよいほうへ。
楽観的な回答もちゃんと持っておく。
足元をすくわれないよう、なにによって立っているのか、知る。
あるいは、覚悟を決める。
客観的な視点からの観察者がいちばん自分らしい(笑)。

ときどき、立ち止まって、我を俯瞰することの必要。
情熱があることをわたしは知ってる、ときとしてそれが暴走することも。
澄んだ水の中へ行くにはどうしたらいいんだろう。
水の静けさ、騒々しさ、耳の奥がよく知っている。

「感じる」ってことがずっと苦手だったけど、うん、やっぱ、
「思いはエネルギー」だよー。

たとえば。

過去の苦しい体験を聞いて後世に残していくことを、良しとしない人。
わかってないな、と思う。
苦しい口を開かせてまで聞くのは、記すのは、なぜなのか。
こちとらの覚悟をご存知ない。
完全なる共同作業、わたしは、仲間は、語ってくれた人のために書く。
過去の出来事をなぜ聞くのか?

いまに生かすため。



コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。