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天啓? [つれづれ]

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晩夏。

子どもの頃?は、季節の変わり目はハッキリしていた。
この頃は地球の事情か、精密すぎる予報がアダか、
予想外の気候に遭遇する。

天啓、なんちゃって。

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ご存知でしょうか、SPECというシリーズ。

なぜか非常に惹かれ、シリーズ10作、レンタル落ちで購入。
これで、いつでも観られる、チャージできる。

SPECというのは、特殊な力、才能のことのようで、
生まれながらのみならず、強くそれを願うことで開花する、という設定。
あくまで、フィクションの設定ですよ。
望むと、望まざるにかかわらず、強く願うことで得てしまう、力。

脳の90%、99%? は、未開の地なのだとか。

わたしが望むものはなんだろう。
迷わない心か、立ち上がる脚力か、忘れる勇気か。
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離人症。 [つれづれ]

離人症(りじんしょう、英: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。

ウィキ、より。

数年来、精神分析のカウンセリングを受けているけれど(初告白かな?)、
ずっと、わたしのテーマは「共依存」「愛着障害」だとしてきた。
なるほどと受け入れる点は多々あるモノの、なぜか腑に落ちない。
関連書籍もいくばくか購入したのに、積読(つんどく)。
うーん、手が伸びない。

で。

今日、2週間ぶりのカウンセリング・・・つっても、
そんなしょっちゅうしているわけじゃないが(受診料もかかるし)。
わたしの夢がおもしろいらしく、いつも語るのだけど、
だんだん、「離人症かな?」って方向になって。

あー。
愛着障害より、ピンとくる。

第一に、「その瞬間の(自分の)気持ちがわからない」。
そのときにどう思った?と聞かれても、わからないことが多い。
わたしにあるのは、焦りと、驚きと、自虐と、警戒心。
喜怒哀楽ではない。

第二に、「制御不能」。
夢の展開のほとんどは、自らはどうしようもない状況下にある。
うーん、たとえば、両の足のどれかの指がどんどん短くなるとか、
実家に帰ったと思っていたら戦場で、負傷しながら隠れているとか、
羽根の輝く妖精をつまんで殺しちゃうとか、
うんちが止まらないとか(失礼!)。

第三に、「客観性」。
上に挙げた状況でもわたしは「気持ち」がわからない。
あー、そーなんだなーと眺めている感覚があるだけ。
「怖いとか、不快とか、ない?」とカウンセラーに聞かれるけど、
返答にものすごく時間がかかる、なぜなら、なにも感じていないから。

以前、一度、あまりに頭がふわふわして現実味がなくて、
脳神経外科に行ったことがある、MRIとかしちゃって、もちろん、
どこも異常がない。

ときどき、鏡の顔を、「だれだね、あんた?」と思う。
わかってる、自分だってわかっているけれど(そこまで乖離していない)、
だれだろー、へんなのー、いやん、あなたはだあれ?
見なかったことにしたい。

この世は感謝でつながっているとか、それでもかけがいないでしょうとか、
わかり切ったことを諭されると、大変にうざい。
あんた、そこまでなの? という反論が口から飛び出さないようにする。
やわらかく、やさしい、想いを、超えたところの変な気分なの。
見ないふりが出来なくて。

といって、わたしは表裏のない存在と思う。
そもそも表裏の区別の手管は持っていないし、使う気もない。

わたし、だれだろう?
幽体離脱の離れ業は持っていませんよ、念のため・笑。



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ファンレター。 [呉本くれぼん]

たまにですが。
このようなお手紙を頂戴します。
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呉本、あるいは、江田島本を読んでくださった方から。

発刊以降、本当にたくさんの方に支えていただいています。
メールやコメントをもらったり、イベントに参加くださったり。
本屋さんの在庫をいつも教えてくださる方。
呉に、広島にいないわたしに代わって、わたし以上のことをしてくれる。

郷土史を掘り起こす活動を進めると、
「ワシの話も聞いてや」という情報をしばしばいただきます。
これ、すごいことだと思います。
戦中・戦後のお話は(時系列的に戦前はもうないでしょう)、
「あえて口を開かせる」無情なものでもあるのです。
そこを、話してもいいよ、と。
ときとして「長生きの理由が見つかった」とも。
わたしは、そこまでの責任は負えないと逃げだしそうな気持を見つけ、
そうではないよね? そう言うことじゃないよね?
お手紙と、本、自分と、話し合います。

いまね、歴史認識の本をちょいちょい読んでいて、
客観的に、中立に、第一資料に基づいて、反証可能を条件に見ることを、
学んでいます。
それは、「オーラルヒストリーは信憑性が低い」ことも示します。

けれど。

わたしは専門家ではないし、勝手に感じる使命の元に、
あえて、オーラルヒストリーにこだわる。
もちろん、史実を軸にします、これは思想ではないのだから。

心、なんですよね。
尊いのは、語ってくれる、それ自体。




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