メンテナンス。 [つれづれ]
いやー、ひっさびさ、すぎ。
新型コロナになってから、わたしはメンテナンス期間を過ごしました。
たぶん、身も心もギリギリまできていた。それは、
すべては自分で自分を高めて追い詰めたからなのだけれど、
そうであるとすれば、なおさら、自分メンテナンスはせねばならぬ。
なんとー、ン十年ぶりだろうか。
フリーライターに独立してすぐくらいに一緒に仕事した彼女と再会。
当時はお互いにフリーライターだった。
彼女のほうがライター先輩で、わたしは憧れた面もあった。
知らない専門用語を彼女が知っていたり。
歳も近く、わたしは彼女への憧れを(内心では)隠さないことにした。
ん十年ぶり再会して、メンテナンスしてもらってきた。
もうね、「追い詰めない(自他とも)」が効いた。
熱をよいほうへ。
楽観的な回答もちゃんと持っておく。
足元をすくわれないよう、なにによって立っているのか、知る。
あるいは、覚悟を決める。
客観的な視点からの観察者がいちばん自分らしい(笑)。
ときどき、立ち止まって、我を俯瞰することの必要。
情熱があることをわたしは知ってる、ときとしてそれが暴走することも。
澄んだ水の中へ行くにはどうしたらいいんだろう。
水の静けさ、騒々しさ、耳の奥がよく知っている。
「感じる」ってことがずっと苦手だったけど、うん、やっぱ、
「思いはエネルギー」だよー。
たとえば。
過去の苦しい体験を聞いて後世に残していくことを、良しとしない人。
わかってないな、と思う。
苦しい口を開かせてまで聞くのは、記すのは、なぜなのか。
こちとらの覚悟をご存知ない。
完全なる共同作業、わたしは、仲間は、語ってくれた人のために書く。
過去の出来事をなぜ聞くのか?
いまに生かすため。
2020-09-23 18:58
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