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落ち着いてインフォデミック。 [くどくど]

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ゴーツーが使えなくなったので、年末の帰呉は残念ながらお流れ。
泣くよ、ほんと、泣く。
呉でいっぱい活動したかったし、遊びたかったし、飲みたかった。
逢いたい人に逢いたかった。

夏だっけ、秋だっけ。
ニュースのトップから新型コロナが消えたことがあったよね。
感染者数(正しくは、PCR検査により発覚した陽性者)が減ったから、
みんな興味を失ったみたいに。

それが、晩秋からの猛烈な増加で一変、つーか、逆戻り。
この現状、インフォデミック。

インフォデミックは、information(情報)+epidemic(エピデミック)。
で、エピデミックとは、
『医療・公衆衛生で、一定の地域や集団において、
ある疾病の罹患者が、通常の予測を超えて大量に発生すること。
インフルエンザなどの感染症が特定の地域で流行すること。
これが世界各地で同時に発生した状態をパンデミックという。』
web辞書より引用。

つまり、感染症の大量発生が、情報(メディア)によってあおられ、
あおられ、いっそう激しく、現状を超越して蔓延していってる状態を指す、らしい。

あー。そーだよねー!

小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言シリーズ コロナ論』で知る。
これが正解とか、これがすべとては言わないけれど、
狂った現状を冷静に見る軸は取れると思う。
2、3日前、スウェーデンの国王が「我々の政策は失敗した」と
新型コロナの対応について異例の批判をした!というニュースが飛び込み、
ええっ!
いよいよスウェーデンも危ないのか、緩和政策はやっぱまずかったのか!?
・・・と、踊らされかかった。

が。

そもそも政治発言をしてはならない国王が、
新型コロナの一政策に口出しするはずがないことと、
よくよく調べたら、今年一年を振り返ってどうか?の総論であり、
新型コロナによって死者を多数出してしまったことへの
国民への真摯な心寄せだったことが、わかった。

ふー! あぶねっ。踊らされかかったよー・汗。

日本でいうなら天皇が「新型コロナを抑えられず申し訳ない」とか
言うと思う? いいませんね。

よしりんのコロナ論で、なるほどーと思ったのは、
12月24日発刊の『2』(予約していたから早く届いたんだな、きっと)に、
日本テレビの元プロデューサー井原高忠氏の著書の引用部分だった。
この人、いろんなデッチアゲ番組を制作し、24時間テレビの初代らしい。

デッチアゲ番組ではあるけれど、そこは世の中も理解していた時代がある。
バカじゃねー、まさかぁー、と言いながら楽しんで見る妥協の世界。
成立していた。
まるで、縁日の怪しい見世物小屋と一緒だって。
「大イタチ」といえば「大きな板に血(赤色)を塗ったもの」は、
見るほうもある程度はわかったうえで、ドキドキワクワクする。

テレビというのはそういう世界だって。奇術師の箱だったんだって。
わたしが一番納得したのは、
テレビで勉強すると思うな、学びってのは金を払って授かるもんだ、ての。

そのとおり!

なんで「テレビが言っていたから正しい」なんだ? 
現代においてはネットも同様。なんでみんな必死にスマホ見てるの?
「本当は嫌だけど、視聴率が取れるからやっている」とテレビ制作側が
弁解し始めたら、おしまい、だって。そりゃそうだ!

「新型コロナが怖い」って、なにが怖いのだろう。
うつるのが怖い? 死ぬのが怖い? 隔離が怖い?

いや。村八分にされるのが怖いんだ。

同調圧力ってやつらしい。恐るべきは群集心理。
かく言うわたしも、マスクは常時しています、ときどき忘れるけれど、
エレベータで気づくからわざわざ取りに戻る(内の視線が痛くて)。
なんか・・・経験ないけど、「戦中もこんなではなかったか?」という
意見にうなづくんだなあ。

見張り合い、刺し合う。

いえ、この自粛期間は、わたし個人にとっては悪いものではなかったです。
仕事との向き合い方を考え、なにを選択していくかを考え、
人間関係を考え、信じることを学び、自分のこころの声を聞き、
だれに強要されるでもなく「自分」に出会う方法を感じました。

だから、スイッチの切り替えには適していた。けれど、
そろそろ「冷静になろうよ」とも、思い始めた。

宣誓。
年が明けたら2月くらいに必ず帰呉します!
ぐだぐだしていた心身をひっぱたいて成すべきことを成します。
同調圧力に屈することなく、常に「わたしはなにを選択する?」を問います。
信じることを怖がりません。逢いたい人に逢いに行きます。
もちろん、逢いたがってくださる人がいれば、ホイホイ行きます。

沈黙も、ときには、よろし。
ただでさえ、ふたご座は(わたしね)辛いときほどしゃべれないのです。
話し出したとすれば、辛いときを越えたことになる。
いーねー。

新型コロナ(ウイルス)を軽視はしないけど、正しく恐れる。
わたしもインフルで苦しい経験を何度かしていますからね。
問題のすり替えはしない。
ここ東京は、いまや忘れ去られた都民ファーストの長が、
なんだか体のいいコピーばかり流布するのでうんざりです。

自分の芯を、持とう。うん。

一瞬先の命はだれもだれにもわからないものです。
年寄りだから先に逝くね、は、あるようで、無いのです。わたしはそう思ってる。
わたしも一瞬後には、ぱちんと消えているかもしれない。
それでいいのです。それでーいーのだー。
いま、生きていれば、いいじゃないっすか。
いま、大事なものを大事だと感じて、愛するものを愛して、それだけ。
ちなみに。

「愛」=「LOVE」(多くの場合、異性間の)の概念は、
日本にはごく近年になって採用されたようですね。
「愛」の大和言葉は「かなし」。悲しい、じゃないですよ。
いとしい、いたいけない、まもりたい、かわいい。

せっかく日本に生まれたのだから、「愛(かな)し」の精神でわたしはいましょう。

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