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江田島本の旅~④。 [呉本くれぼん]

呉・江田島の旅、四日目を迎えました。
本日はいい天気。今日は基本ひとり行動です。
『呉本』のときからそうなんだけど、
帰呉すると、んもう全力で動くから、東京に戻るとだいたい熱を出す。
一度なんてインフルエンザをもらって帰っちゃったもんね・汗。
そんなだから、なるべく体調を管理しつつこのたびは進むのだ。

午前中は、「著書とめぐる『呉本』ツアー」を確実にすべく、
地図を見ながら自分で実際に歩いて「この距離、歩けるんか?」を試す。
出発地点は、四つ道路。
この次の帰呉で紹介していただこうと目論んでいるYWCAの建物を起点に、
うーん、どっちから始めよう・・・。

えいやっと、亀山神社。ここは外せない。
入船山記念館、旧呉鎮守府長官官舎にあった氏神が引っ越した場所だし、
狛犬の台座には焼夷弾の跡が残る。ここは絶対に見ていただきたい。
ふるさとでの初詣もまだだし、お参りし、恒例のおみくじ。
大吉!!
ぎゃー、うれしい、一年大事にして大吉を使い果たすなよっ。
そこから、当初はツアーに入れていなかったが、和庄児童公園へ。
和庄の防空壕で亡くなられた魂を慰める地蔵尊がある。
和庄のお地蔵様.JPG

・・・え?
呉本の取材の際に訪れたときはかろうじて残っていた手書きの地図が、
ひどく風化していた。
和庄防空壕の地図①.JPG
ほんの2年半前はこうだったのに。
和庄公園慰霊碑地図.jpg

悲しい。
残したい。どうすればいいんだろう・・・。

悶々と思いにふけつつ、そういえば、と。明法寺を探した。
そこまで意識せず書いた「明法寺」の防空壕に強く反応された方があった。
たった二行に、反応したおじいちゃまがいたんだ。
行ってみないと。
明法寺.JPG 明法寺灯篭.JPG
ひっそりとしていたが、声をかけたらご住職が出てきてくださった。
「ここに防空壕があったと聞いたのですが」。
ご住職も戦後生まれ。しかも土地はすっかり整備されている。

「防空壕があったと聞いておりますが、跡はまったく残っていません。
この辺りは上の階級のお宅も多かったそうで、海軍の立派な防空壕が
ありました。看護師さんも待機するような。けれど、穴と、穴をふさぐ壁の間に、
焼夷弾が落ち、蒸し焼きでほぼ全滅だったそうです」。

「でも、生き残った方にお話を聞きました。市民の防空壕もあったのでは?」。

「そうですね、反対側にあったそうです。そこでは助かった方もおられた」。

ああ。話がつながった――。
おのおじいちゃま、一度は立派なほうに入ったけど、自分が掘った穴に
入るんだと入り直し、助かったとおっしゃっていた。このことだったんだ。

ありがとうございましたとお暇し、四つ道路に戻る。ふり出しだわ。
この辺り、めぐりたいけど、ふりだしに戻るって感じを無くすにはどうしよう。

それから、宮原に上がって、JMUの大和の大屋根、歴史が見える丘は、
さほど遠くない。歩ける。
が、ここからがちょっと遠い。道端の防空壕跡をどうしてもお見せしたい。
串山公園の防空監視所とか、技手の碑とか。
どうしても外せないのは「殉国の塔」。
殉国の塔.JPG
が、串山公園からすこし距離がある。歩けるかな・・・。

つー、前に。わたしの電池が切れた。もう二時間歩いている。
ここはいったん休もう、アレイからすこじまの澎湃館に降りることにする。
・・・が。どのみちだったっけ!?

庭先で草木いじりをしているおじさまに聞いた。ちょっと足元が悪いけどと、
近道を教わった。
串山から近道.JPG
ちょっと悪いどこじゃねぇっつの!
畑の中の急降下。腹の中でキャハキャハ笑いながら下った。
コートにオナモミっぽいのがいっぱいついた。
だが、この道、「むかしは製鉄所なんかへ近道でみんな通ったんよ」。
そっかあ。歩けてうれしかった。

港町珈琲館で軽いランチを食べ、澎湃館で大之木社長の恒例トークを拝聴。
迎えを頼んでおいたから、夕刻は広島の蔦屋さんに営業に行く。

今宵も無理はすまい。ベッドで気絶。疲れすぎで夜中に目覚めたが、
気づいたら、また気絶していたとさ。

ツアールートのこと、観光協会のKIEちゃんに相談しよっと。

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