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伝え方の変化。 [呉調査]

18日に雅叙園ディナーショーを終えて翌日19日から、
疲労した身体を引きずって弾丸呉帰還。3泊と短かったけど、
またまたじゅうじつしすぎる濃い濃~い時間と体験。しばらく復活不可能・苦笑。
すこしずつご報告していきます!

今回の帰呉の目的は、まずは盆(明け)の家への定例顔見せ。
それと、東京でパチパチ文作にあたって疑問や穴のある部分を確認すること。
もうひとつ大きな目的がありまして、それは次回のブログで★

帰呉したその夜は幼なじみたちとてっぺん越え飲み会。
なんでこうも毎度毎度、話題と笑いが絶えないかね・笑。
「おかえり~」「ただいま~」。
このごろ何度も帰呉するからこっばずかしいんだけど、
「なにようるん、いつでも帰って来んさい」と。そうだここはわたしのふるさと。

「ふるさと」のフレーズから呉といえば「大和のふるさと」がいまのキャッチコピー。
旧呉鎮守府司令長官官舎の入船山記念館に続く美術館通りには、
戦艦大和のストーリーを辿るマンホールが設置されています。
大和マンホール.JPG
足元をチェック!
こんなデザインマンホールが坂の上の入船山記念館前まで続いていく。

戦艦大和は何度か姿を変えています。甲板に載せてる対空兵器が変わっていくの。
戦いのたびに故障して修繕して追加して変更して次の戦いに備える感じで。

竣工時。
竣工時.JPG

捷一号作戦(レイテ沖海戦)の時。
捷一合作戦.JPG

天一号作戦(沖縄特攻)の時。
菊水天一.JPG
「菊水一号作戦」と記されているけど、正しくは「天一号作戦」ではないか、との指摘があります。

……ええと。こんなマニアックに見せられても困るかもだけど・汗、
よくよく見てください、搭載されている対空兵器、すなわち副砲や高射砲の数や位置が
それぞれ違っている。ハッキリ言ったら増えていくの!

デザインマンホールはぜんぶで10個あり、美術館通りに8個、
長迫公園(旧呉海軍墓地)に2個。長迫の2個は今回見逃したので次にお預け。

写真を撮りながらフムフム登って入船山記念館へ。
入ってすぐに高烏砲台(休山)から移築した火薬庫があります。
入船山火薬庫.JPG

ここに古い絵画が展示されていてそれが見たくて行ったのだけど…。
火薬庫の絵.JPG
本物はなくなり、スライドになっていました……。

「つい半月前なんですよ。もう絵も古くなって展示に耐えられなくてね。
絵のほうが説明しやすくてよかった。これになって説明しなくなりましたね」
と、ボランティアガイドのおじさま。

もったいない。

絵には、リアルな写真とは違う「当時の空気感」が現れていた。
筆を走らせる画家の主観が混ざるということは、当時の人々の思いが、
構図や色や切り取った景色にあった。それを再度感じて行ったのに、
とっても残念でした。

しかも。

同じ火薬庫の中の絵とは反対の壁では、新キャラクター「呉氏」のプロモビデオが。
うーん…。
子どもはこれを見ればおしまいだし、肝心の絵のほうは親も無視していく。
火薬庫の空間に「くれーしー、ごな、くれーしー♪」が響きまくって参った。


いや、いいんだけどさあ。

なんか、ちょっと、これでいいのかなあって。

ここ入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)は、元は亀山神社があった場所。
神様を遷宮させて海軍が陣取った。
入船山窓.JPG
歴史民俗資料館の窓から、いまの亀山神社が見えていたんだけど、
緑生い茂る夏のせいか、剪定してないせいか、ほとんど見えなかった。
冬の季節に行けば見えるかなあ。

伝え方の変化、というものを、すくなからず感じました。
いまの人にわかりやすいように、興味が持てるように、キャッチーに。
決して間違ったことではないと思う、ただ、残すところは残したい。
残せる方法を考えたい、なあと。

わたしはたぶん「いまの人」のグループに属する。
まずはわたしが興味を持てる方法を探してチャレンジします。


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