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終戦の日に。 [呉調査]

太平洋戦争が終わって72年。長いです。長いけれど、
自分が生まれた昭和45年が、終戦からわずか25年目だったと思うと、
わたしの体もいくばくかの「戦後」の空気感を幼い時期に浴びていたのではと、
そう思いもするのです。

戦争体験者が高齢化して話を聞くのが難しくなってきた。
でも、まだ、すこしは聞ける。これってすごいことです。
幕末とか戦国時代のことはもう誰にも直接は聞けないわけだから、
それとは違って太平洋戦争についてわずかでも直接聞けるのは、すごいこと。
この機会を逃してはならないと思います。

とはいえ。

なんのツテもない一塊のわたしではなかなか難しいんですけどね・汗。

単に勇気がないってのもある。誰か教えてください、聞かせてくださいと、
当たって砕けろをがんばってはいるのだけれど、なかなか、なかなか。

呉を調べはじめ、「呉だけでは収まらない」ことに気づいて唖然とします。
もちろん、「呉」だけでも、わたしのような者では受け止め切れない
大きな大きなものを孕んでいて、器がぜんぜん足りないんです。
それでも、1年前と比べたら、ずいぶんがんばって勉強したんだよ・笑。

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呉の戦災の体験記と資料を編集したこの本は、もう、
呉市内にはほぼ残っていないそう。
先日の帰呉で訪ねたおば様にいったんお借りしたんだけど、
「この時期はひっぱりまわされて、質問攻めで、本が必要になって」と
ご連絡をいただき返却しました。いずれ要らなくなったら譲ります、と。
それは、おば様からもうお話が聞けなくなったときを指すもので、
すぐには返事をしかねたけれど、「大切にしてくれる人にあげたいの」。
それまでに信用していただくに足る人になろうと、「はい、いただきます」。
小さくて硬いダイヤモンドの原石みたいな約束をさせてもらった。

ちなみに、本はもうないけれど、中身は読めます。
http://kure-sensai.net/Book/KuroiBonchi/KuroiBonchi.htm
(呉の戦災を記録する会)

一方で、呉が抱える自衛隊のことも、すこしずつ、知っていく。
江田島の海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校を見学(ちょっと前)。
DSCF1568.JPG
DSCF1668.JPG
こちらは呉市内の通称・てつのくじら館、海上自衛隊呉史料館。
「このアングルがいいんだよ~」ってボランティアガイドのおじさん撮影・笑。

ち、ちょー難しいんだけどこんな書籍も。
同じような話をいろんな本で何度も何度も繰り返し読んでやっとすこしだけ憶える感じ。
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ほかの方がFacebookでシェアしていたので知ったのだけど、
http://www.rosenkranz-jp.com/Information/People_musical_instrument_music_car/famous_saying/emperor.html
玉音放送の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の原文の意味は、
現代のわたしたちが印象付けてしまっているものと違うようですね。
耐えて忍んで敗戦を受け入れるのではなく、
これからどんなに辛いかもしれないが耐えて忍んでがんばろう、という意味。
(かなり意訳です、きちっと原文見てくださいね)

わたしたちは、すくなくともわたしは、決して戦争を美化しない。
ただ、「歴史が語ること」に真摯に耳が傾けられるかどうか、目が開けるかどうか。

愛とは、寄り添うこと、耳を傾けること、と言います。
歴史を体験し、いま目の前にいてくださる方々に愛を寄せて、
ますますがんばります…、と、今日だからちょっと決意を書いてみました。



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