いよいよ、伝え方。 [ぐだぐだ]
あえて照明をつけていないのだろうトンネルを潜り抜け、
その先にあるのは天井いっぱいのカレイドスコープの世界。
カレイドスコープは、万華鏡のこと。
子どもの頃にどこか温泉場か祭りの屋台で買ったような
あーゆー万華鏡がまた欲しくなった。
いよいよ「伝え方」に細心の注意を払わねばならない時期に
突入したのだと感じる。
たとえばわたしが執着するふるさと呉の戦争の歴史。
とある会報誌にこんな記載があって危機感を抱いた。
「孫が、いまのコロナ禍はおばあちゃんの戦時中みたいじゃない?と
言うんだけど、あの戦争はこんなもんじゃない。
戦争を知らない人間が増えすぎた、困ったもんだ」。
それは、先の大戦のご苦労を心身に体験した方の言葉、ではあるけれど、
孫が知らないのは当然であって、想像できないのは教育やマスコミの
罪もあり、「知らない」ことは決して悪ではないのだろうに。
孫にも、同じ経験をさせたいのだろうか。
いよいよ「伝え方」が問題になってくるのだと焦燥する。
万華鏡は瞬間瞬間が最新であって、二度と同じ模様はあり得ない。
まるで毎朝の陽光と影のように、打っては引く海の波のように。
シャボン玉のように。
二度とありえないものをどのように伝えたら実感になるのか、
せめて追体験になるのか。そうして学べるものはなんなのか。
いよいよ「伝え方」だよ。
わたしはへその下のほうをぎゅうぎゅう結んで挑むよ。
2021-04-11 19:47
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