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わたしの技術で人を殺さないで。 [つれづれ]

本日、午前中にネット配信された
「勝手に開催!『オンラインNPT再検討会議2020』」を
傍聴しました。
事前に登録した人だけが視聴できる構造で、
URLはシェアしないように、というお達しでしたので、
シェアしませんでしたが。
NPT=核拡散防止条約についての勉強ができました。
ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、は、知っていました。けれど、
広島出身でありながら、詳しいことは知りませんでした。

とても貴重で、とても有意義だと思います。ただ、
若い子が言った、「加害の歴史を相手(米国など)に指摘されると、
理解してもらえない」という発言が、気になりました。

わたしとしては、それこそ、鵜呑みにしてほしくない。
「加害の歴史」と指摘されることに面と向かっていますか、と。
そこをこそ学ばねばならないのではないかと思いました。

目下、自分の血肉として、「大東亜共栄圏」を理解しようと努めています。
もちろん、わたしは歴史学者ではないので、理解にも限界があります。
けれど、「いまの定義で当時は裁けない」を、理解してほしいと思う、
納得はしなくていいけれどね。

理解と、納得(受け入れ)は、まったくの別物だと思います。

わたしは広島県人でなくても、核には絶対的に反対です。
けれど、強く反対できるほどの知識を持ち合わせないので、
感覚的に、と、言われても仕方がないと思っています。
それでも、嫌です。核は、人知を超えるからです。
宗教的な意味ではなく「人が神の領域に踏み込んではならない」と、
心底、思っています。
だから、IPSとかも、嫌いです。出産前の検査とか、
DNA検査とかも、必要だとは思えません。

今日の視聴で、若い子が、世界に出て行って反核を訴える、その際、
日本の加害の歴史を持ちだされると理解の深まりが得られない、と、
そういうこと自体に問題を感じました。
それを質す、説明する大人もいません。
歴史を俯瞰していないことが、反省を取り違えていることが、
不安で仕方がありませんでした。

日本が正解だとは思いません、けれど、自虐に偏るのはいびつです。
いまの感覚で、当時を裁くことは不可能です。
現在から過去を逆算して語るのは、ずるいです。

いつだって、いまのことしか、見えない。
いつだって、いまの秒の先も、未来は語れない。
そこをしっかり冷静にとらえてほしいと思いました。
もちろん。

かく言うわたしも、ちっとも賢くはありませんし、
政治的にどこにも寄らないことが信条です、だから、
わたし以外の方がわたしの文章を読んでくださるのだと信じています。

もろ手を挙げて反核を訴えれば善人である、という、
「まっすぐ正義くん」は、いずれ自爆します。
知らなければ、知ればいい、本気なら教えてくれる人がいる。
わたしは肌身でそれを知っています。

「わたしの技術で人を殺さないで」。
今日の視聴でちいさく届いた言葉にぴくんとしました。
技術はなんのためにあるのか。
手に負えないほど発展する技術の大元を担う方々にすれば、
「自分さえこれを発見しなければ・・・!」なんて思わせたくない。
わたしは「命」第一主義ではないですが、それでも、
もしも技術が人を傷つけ、殺傷するのであれば、もっとも傷つくのは、
それを開発した人なのではないか、と、大局的に考えました。
ドストライクではなくとも、わたしに出来ることを、これから辿ります。

DSC_0953.JPG

DSC_0954.JPG

うちの窓から見える中に、五輪要員であったろう車両が風雨に
晒されています。
このまま放置されたら風化すると思います、動くのかな。
まったく。見上げた「レガシー」ですね。
コロナ患者さんの一部でも、医療従事者の一部でも、
運ぶ気概はないのか。
見上げたレガシーを日々見せつけられ、イライラします。

本日は多くの暴言を含みました、すみませんっ。
けれど。
いまの現状になんの貢献もできないうじょうじょの身に想うことです。
いつか。

わたしが貢献できる日が訪れれば、命の限りにがんばります。



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