SSブログ

戸川純。 [つれづれ]

ああ、嗚呼、嗚呼、嗚呼!

ポチってしまった、戸川純嬢の本。
1486721554925.jpg

彼女(YAPOOS)の歌は「パンクなのか?」と聞かれたことがあります。

ううーん、う……、ごめん、パンクがわからない、と思いました。

戸川純を初めて聞いたのは中学生の時分、ほぼオンタイムと思われます。
当時はまだ「レンタルレコード」の時代で、
友と小遣いを分担し2、3枚を借りたのですが(カセットテープに録音するのです)、
1枚目で「怖いから、もう、いい」と、続きを断られた。

怖いのか。

そうか、怖い、の、か。

ある種、新鮮な情動でした。

そこからは自分一人での地道なファン街道です。

そんな風にして、10代、20代、30代、40代前半まで、常に、
戸川純嬢は、わたしの教祖と呼んでもいい。
何度生まれ変わったって自分以外には絶対になりたくないと思うわたしでも、
(電車で好みの美人を見ると、あんな顔に生まれたかったなあと思いますが)、
戸川純嬢の描く“歌詞”の中に生まれ直したいと、何度焦がれたことでしょう。
彼女自体というより、彼女の描く歌詞(と、ときに歌い方)に執拗に憧れ、
ほとんどバイブル(聖典)として生きてきました。

これ、マジ、大げさな話じゃないです。

隠れ熱狂。ほとんど同一化して自分の苦しみから逃れるべく自慰したと言える。

彼女の歌詞を評して「感覚的」と言う人がいるようです。

んな、バカな……!?

あれのどこが感覚的なんだ、徹底的な思考と独自理論と独自倫理の果てではないか、
突き詰めたところの確信犯であり、言葉の恐ろしさを嫌というほど知る人の言葉。

なにか言ってやりたい衝動に駆られますが、まだ拝読していないので黙ります。

近年はライブにも行かなくなりました。いまは必要としていない。
それでも、まま、歌詞の一節を思い出し、望みとは別に救われることも確かです。
“我一介の肉塊なり”。
ギリギリに捨てられるたびに思い出す。そうして徹底的に堕ちるだけ堕ち、
転んでもタダでは起きない根性で復帰する。
生きながら生まれ変われますよと、何某の宗教は言ったりしますが。

ええ、わかっています。

だって、わたし、すでに何度も生きながら生まれ変わってきましたから。

人それぞれに信仰は違う、ただ、わたしの信仰が戸川純嬢だっただけで。

この本、ページを開くのが怖いんですが、それって恍惚の一面なんです、きっと。

で。

同様に、岡村靖幸も、ちょい信仰していると、言っちゃいます。
どうも男子に毛嫌いする人もいるようですが、わたしは完全にラブ。
女々しくて、女々しくて、たまらなく、いい。

うーん。

男は、女々しいとか、雄々しいとか、言ってもらえるのに、
女は、姦しい、くらいしか言ってもらえないのって不公平じゃないですか・笑?



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

バカと死。やさしい文章教室。 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。