映画『この世界の片隅に』。 [呉]
呉の戦争時代を描いた漫画『この世界の片隅に』の映画化。
神様が呼んでくれた!……としか思えない広島一泊出張のこのタイミングで、
呉のポポロという映画館で見てきました。
11月に公開が始まり、まだやってくれているだろうか、と心配したけど、
呉ポポロでは、1日3回上映。
広島の映画館も探したけどいい時間帯が無く(もはや早朝か夜の回のみ……)
んー、呉か!呉を往復して帰路便に間に合うか!?と思いつつ。
いや、わたしは、呉で観ることにこだわるんだ。
広島駅のコインロッカーに荷物を放り込み、財布とスマホだけコートのぽっけに。
呉線でゆらゆら呉まで鈍行約50分。呉駅からは勝手知ったる道のりで中通り。
ド平日のド頭の回ですが、呉にしては客席が埋まっていました。
その多くが、あの戦争をなんらかの形で体験しているであろう世代。
背の丸いご婦人、白髪シワシワの紳士、ちいちゃくなったおばあちゃま。
客席を見るだけで、胸の中にわーんと響いていく感情の粒が芽生える。
♪ 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを だれに告げようか
オープニングの歌に耳の奥をツンと突かれました。
絵のやさしいタッチ、原作が漫画であることを活かした演出、なにより、
描かれる生活の、風土の、人々の、主人公の、そこに存在することに心を奪われました。
途中から、ほとんどわんわん泣き。わんわん泣いてもいいよって許された気持ち。
いえ。戦争だからと泣きを要求する話ではありません。
そうではなく、そういうことではなく、物語に同化して泣いていいのです。
帰りのエレベータで、一緒になったご婦人2人にどうしても聞きたくて、声をかけました。
「……思い出すねぇ、あのころを」
いいとも、悪いとも、悲しいとも、辛いとも、ひどいとも、言わない。
ただ、「思い出すねぇ」。涙いっぱいの赤い目。
お一人は、主人公のように広島から呉にお嫁に来た人。
もうお一人は、宮原で生まれて、主人公と同じ長ノ木にお嫁に来た人。
「じゃけど、わたしは疎開しとったけん。直接は知らんの」
ああ、そうだ。
うちの父も疎開組。だから呉空襲の大被害を直接は語れない。
でも、疎開だからこそ、いま、ここに生きていられるとも言えるのです。
この人たちから話を聞く、いまが最後のチャンスなんです。
わかっていたら、客席に片っ端から声をかけて話を聞いたのに……!
悔しい。そして、絶対に呉を書くんだという意思がさらに強まりました。
わたしは、絶対に、いま、このときをつかんで、呉を書く。
映画館を出ると、映画の背景にもしょっちゅう出ていた「灰ケ峰」の山が、
雨上がりの霧に包まれてすぐそばに見えました。
うちの実家は、灰ケ峰のふもとにあります。
灰ケ峰をこんなに意識したことはなかった。でも、
子どもの頃から背後にあるのが当然の山でしたから、
東京に出てまず、周囲ぐるりの360度に山の無いことに不安を覚えたものです。
晴れてる日の灰ケ峰。呉の幼なじみ撮影のものをもらいました!
映画を見ながら、わんわん泣きながら、なぜか、一つのことを考えていました。
愛してる。
愛してる愛してる愛してる愛してる……ということを。
なにを愛してるのか、ハッキリわからないのですが、
愛してる、ということだけ、確信できました。
神様が呼んでくれた!……としか思えない広島一泊出張のこのタイミングで、
呉のポポロという映画館で見てきました。
11月に公開が始まり、まだやってくれているだろうか、と心配したけど、
呉ポポロでは、1日3回上映。
広島の映画館も探したけどいい時間帯が無く(もはや早朝か夜の回のみ……)
んー、呉か!呉を往復して帰路便に間に合うか!?と思いつつ。
いや、わたしは、呉で観ることにこだわるんだ。
広島駅のコインロッカーに荷物を放り込み、財布とスマホだけコートのぽっけに。
呉線でゆらゆら呉まで鈍行約50分。呉駅からは勝手知ったる道のりで中通り。
ド平日のド頭の回ですが、呉にしては客席が埋まっていました。
その多くが、あの戦争をなんらかの形で体験しているであろう世代。
背の丸いご婦人、白髪シワシワの紳士、ちいちゃくなったおばあちゃま。
客席を見るだけで、胸の中にわーんと響いていく感情の粒が芽生える。
♪ 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを だれに告げようか
オープニングの歌に耳の奥をツンと突かれました。
絵のやさしいタッチ、原作が漫画であることを活かした演出、なにより、
描かれる生活の、風土の、人々の、主人公の、そこに存在することに心を奪われました。
途中から、ほとんどわんわん泣き。わんわん泣いてもいいよって許された気持ち。
いえ。戦争だからと泣きを要求する話ではありません。
そうではなく、そういうことではなく、物語に同化して泣いていいのです。
帰りのエレベータで、一緒になったご婦人2人にどうしても聞きたくて、声をかけました。
「……思い出すねぇ、あのころを」
いいとも、悪いとも、悲しいとも、辛いとも、ひどいとも、言わない。
ただ、「思い出すねぇ」。涙いっぱいの赤い目。
お一人は、主人公のように広島から呉にお嫁に来た人。
もうお一人は、宮原で生まれて、主人公と同じ長ノ木にお嫁に来た人。
「じゃけど、わたしは疎開しとったけん。直接は知らんの」
ああ、そうだ。
うちの父も疎開組。だから呉空襲の大被害を直接は語れない。
でも、疎開だからこそ、いま、ここに生きていられるとも言えるのです。
この人たちから話を聞く、いまが最後のチャンスなんです。
わかっていたら、客席に片っ端から声をかけて話を聞いたのに……!
悔しい。そして、絶対に呉を書くんだという意思がさらに強まりました。
わたしは、絶対に、いま、このときをつかんで、呉を書く。
映画館を出ると、映画の背景にもしょっちゅう出ていた「灰ケ峰」の山が、
雨上がりの霧に包まれてすぐそばに見えました。
うちの実家は、灰ケ峰のふもとにあります。
灰ケ峰をこんなに意識したことはなかった。でも、
子どもの頃から背後にあるのが当然の山でしたから、
東京に出てまず、周囲ぐるりの360度に山の無いことに不安を覚えたものです。
晴れてる日の灰ケ峰。呉の幼なじみ撮影のものをもらいました!
映画を見ながら、わんわん泣きながら、なぜか、一つのことを考えていました。
愛してる。
愛してる愛してる愛してる愛してる……ということを。
なにを愛してるのか、ハッキリわからないのですが、
愛してる、ということだけ、確信できました。
2016-12-14 20:13
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