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呉レポ④ダイジェスト。 [呉]

6日間の呉から無事、帰京。

ほんとに濃い濃い6日間。え、マジ、たった6日!?……てほど、
ぎっしりみっちり詰まって頭もハートも足もぱんぱんです・笑。

ダイジェスト版でお届け。

今回の帰呉のそもそもの目的は、戦艦大和戦没72年追悼式。
戦艦大和が沖縄特攻で没した4月7日に毎年行われてきました。

呉海軍墓地(長迫公園)にはぜんぶで86の「墓」や「碑」があります。
大和だけでなく、日向や伊勢、比叡や矢矧、潜水艦や駆逐艦、ほか、
陸自部隊や、戦没者の慰霊、英兵水平の墓も。
その中で大和の碑は小さな広場を前にした特等席にある。
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軍艦旗の掲揚、降納には、ラッパが鳴らされました。
きっと、72年前(それ以前から)と同じ調べなのだと思います。
市内のコーラスグループ(おばさまたち)が軍歌を捧げるのですが、
大和出航のときに艦上で皆が歌ったという「如何に狂風」が始まると、
参列者の中から急にすすり泣きが。
(正しい歌詞はいずれ改めて紹介しますが……)、敵めがけて一直線な歌詞に、
曲調が明るく勇ましいだけに胸を刺される。
二度と会えないのに君に笑顔を見せていく。

翌日8日は、沖縄特攻で大和とともに、というか、大和を護衛して
出撃し没した駆逐艦磯風の生還者、橋本武生氏(写真真ん中)の講演。
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写真左から、駆逐艦浦風の乗組員氏、磯風の橋本氏、戦艦大和会長・廣 一志氏。
(廣会長は大和からの生還者です)すごいスリーショット。
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橋本氏は、大和、大和の姉妹艦・武蔵、航空空母信濃(大和と同型艦)と、
3隻の“断末魔”を聞き見届けた方。

信濃の「ひゅうぅぅぅ……という断末魔が聞こえまして」。

艦たちの断末魔。世界がひっくり返っであろう瞬間。
また、自身の乗った磯風の最期も「見た」とのこと。
磯風も破損がひどく航行不能になり、乗組員を救助・他艦に移してから、
味方の爆弾によって自沈させたのです。

うーん。……言葉を失う。
書こうってわたしが言葉を失っていてはダメなんですが。

一方で、市井の人々の声も聞きたいというのがこの旅のミッション。
うら若き16歳の乙女ざかりに、兵器造りの学徒動員に出たというおば様と。
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「これまで戦争の話はできなかったの、怖くて怖くて。
20年くらい前まで夢に出てきていたしねえ」。
空襲の爆弾が目の前に落ちて、ああ!……瞬間に目覚めるのだそう。

乙女たちも兵器造りに駆り出された、女子挺身隊といった。
おば様は自分が「女子挺身隊」だったとは言葉としては言わなかったけど、
工廠が激しい空襲にやられた日に、「隣の壕で友だち7人が死んだの」。
体験談などで読んでいた女子挺身隊にまつわる悲劇そのままで。

本当に、リアルな意味で、「死体を乗り越え生きてきたの」。

やわらかな表情で語られる。

お話が聞けて本当に良かった。紹介してくれた友にも心からの感謝を。
おば様のお話、呉本に収録します。

もっといたかったけど、いまの状態で居続けたらきっとわたしがパンクする。
一回、書くなり煮るなり焼くなりしてアウトプットしとかないと。
ふわふわと最終日、灰ケ峰のベストショット見つけました。
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山肌の中腹にちらちら白いのは、桜です。

あー、しかし。

写真下手だな、わたし。
カメラマンさん、こんど一緒に呉旅しませんか(ボランティアですが・爆!)

6日間のことがぜんぜん書き切れない。続編をゆるゆるお楽しみに!


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