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サンケイビズと、ヤフーニュースに! [呉本くれぼん]

http://www.sankeibiz.jp/business/news/200520/bsm2005200700002-n3.htm

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200520-00000500-fsi-bus_all

呉本と江田島本.JPG

以前お仕事をした編集女史さまよりおつなぎいただき、
ニュース記者さんの取材をうけ、今朝、5月20日、
『SANKEIBIZ』同時に『YAHOOニュース』に
取り上げていただきました。
いやー、こんな大きな媒体さんにお取り上げいただけるとは。

時期的に文脈がコロナに引っ掛けるところとなったそうですが、
内容はあくまで「一人出版者」と『呉本』『江田島本』のこと。
奮闘が話題を呼んだ・・・って書いてもらいましたが、
取材からいまに至るまでにお会いしたすべての方のお力です。

そこは、間違いない。

http://etajimafan.net/menu
江田島ファンネットのニュースページにも、長文でご紹介いただいています。
愛があふれているんです!

江田島ファンネットもだし、このたびのニュース記事も、
わたしのほうがいろいろ気づかされるというか、思い出すというか、
他者の眼から書かれたものに内面を揺すられる感じがあります。
そんな風に見てくれたのか、話した言葉のそこに着目したんだ、と。
聞いて、書くき、読んでもらう、という一連の流れを、
いままでより広い目で見せてくれる気がしています。

東京近郊はまだまだ緊急事態宣言の中。
けれど、心は早くも、遠くへ飛んでいく。



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アリスの真相。 [つれづれ]

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不思議の国のアリスを、ディズニーだと思っているなら、
違いますよ。
アリスの物語は、オックスフォードの数学者が、
知人の幼い娘のために、昼下がりの退屈しのぎに、
数日に分けて小舟で聞かせた物語をまとめたものです。
そう。
実に、個人的な作り話だったわけです。
数学者はいまでいうロリコンで、娘の年齢のアリスに恋をし、
まっとうするため独身で生涯を終えています。
どこで拾ってきたのか、ディズニーがかっさらいました。
なのでわたしは、ディズニーの青いドレスのアリスが、
あまり好きではありません。
にやにや笑うチェシャ猫は同じですけれどね。
チェシャ猫は、想像するに、ジブリのトトロにも応用されました。

アリスを信仰しているわけではないけれど、
高校生の時分から、知ってか知らないかで追っかけています。

振り返り。

セブンデイズのブックカバーのレコメンドを目下やってますが、
こういうのってはらわたをひけらかすようだね。

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小説を出すのはずるいですね、きっと多くを読んでいて、
その中で絞るのは本当に辛い。
安部公房は卒論だったからまだいいけれど、
(わたしたちの時代まで卒論といえばこういう作家でした、
村上春樹とかよしもとばななとかは出てこなかった時代)
小川洋子は微妙でしょう。
小川洋子は、完全なる「女」です。
女は子宮で考える、それを文字に起こした人だとわたしは思う。
わたしも子宮で考えることが多々あるので、理解したつもりでいる。
なにを時代錯誤か、と、言うでしょうか。
それでも、女は子宮でものを想うのです。
わたしの子宮はきれいきれいすぎて本当に嫌になります。

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このあたりは、わたしの余計な雑学の範疇。
五感のうちでわたしが嗅覚を信じるようになった理由とか、
天使との遭遇を、超常現象とは一線を画す原点です。
本当は、学問として、「天使学」を学びたかったんです。
けれど、学問としての天使学を学ぶ場所はほぼなくて、
キリスト教と切り離すのも困難でした。それで独学です。

この二冊は、機会があれば、どんな偏った人でも読み下せると思い、
おすすめしたいです。

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これは本当に子どものわたしを生き写した感じです。
あ、もしかしたら、現在もこのままかも、です。
絵本は幾つか偏愛を自覚する書があるので択一は難しかったけれど、
フランシスなら文句はない、と、自分で自分に言えるものでした。

現代の子どもたちがなにを読んでいるかは知らないけれど、
フランシスは勧めたいですね。

ブックカバーのチャレンジは、自分をどう見せるかの勝負にも思いました。
それで、あえて、だれにも指名されないままスタートしました。
わたしはわたしをどう見せたいと思っているのだろう。
それを探るためでもあったかもしれない。
奇をてらわない、ということは、こういう仕事をしていると難しいです。
日々、奇をてらう気持ちがどこかにないと新しいものが書けない。
けれど。
あるがままも、胡散臭がられる。

客観視です、どこまで行っても、客観、俯瞰の眼です。
心が分割していくことを、良しとしなければ。
なんつって。

いうほどのタマではありませんよ。(笑)。






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