SSブログ

言葉は尽くさず。 [つれづれ]

玲瓏②jpeg.jpg

言葉が巧みになればなるほど、言葉が不自由になる。
お久しぶりです。
これは30代に習っていたカラーセラピーの先生に注意されたこと。
先生とは結局たもとを分かちたので善い思い出ではないけれど。
それでもいまも心に刻むフレーズがいくつか残っている。

書く者としては語彙は多いに越したことなく、本もしっかり読み、
さまざまな文体に触れて喰らい、咀嚼して自分のものにしたい。
新しい言葉はなかなか無理だけど・苦笑、それでもエンタメとか書けば、
それなりに得る。なのに。

言葉は巧みになるほど不自由になる。
初めに言葉があった、は、キリスト教ヨハネの福音書だったか。
違う、そうじゃない。
この感情をなんと名づけよう、ああ、悲しいのだ、うれしいのだと、
言葉を与えた途端に薄っぺらく硬くなる。
初めにあったのは「自分がいる」発見と「あなたがいる」発見と、心だ。

賢そうな原稿はときに喜ばれるけれど、本来は五歳児でも理解できる、
そんな言葉と文脈で述べるのが正しい。

冒頭の写真は「玲瓏(れいろう)」という石。黒曜石、オブシディアンの中でも、
とくに珍しい青い縞の入ったもの。北海道の十勝川流域が採取地なのだとか。
黒曜石はガラスに似た性質で、割ると鋭いことから、
古代より矢じりの先などに使われてきたそう。火山岩の一種。
この石、ほしいな。

玲瓏は、「玉や宝石などが美しく輝き、冴え冴えするような音を奏でる様子」を
指すとか。ああ、これは「音」の言葉なのだ。

音。わたしの名前は、音。

玲子とどうして名づけたの?と子どものころの記憶を手繰り寄せると、
「姉ちゃんは「珠」でしょ。この世で一番美しい玉のことよ。
そしてそれが鳴ったときが「玲」なんよ」。だれの説明だったか。
母か、祖母か。
いま聞いても「しらん、忘れたぁ」とのたまわれるが。

わたしは音。

言葉も音、音には違いないけれど、巧みすぎると不自由になる。
言葉を尽くして説得したところで善い結果はなかなか無い。
で、あるならば。

ココロという宝石を触れ合わせ冴え冴えと鳴る音になろう。
形なく、生まれると同時に消えていく音になろう。
音になろう。

・・・あ。これも野田秀樹(夢の遊眠社)の台詞にあったなあ・笑。



コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。