言葉は尽くさず。 [つれづれ]
言葉が巧みになればなるほど、言葉が不自由になる。
お久しぶりです。
これは30代に習っていたカラーセラピーの先生に注意されたこと。
先生とは結局たもとを分かちたので善い思い出ではないけれど。
それでもいまも心に刻むフレーズがいくつか残っている。
書く者としては語彙は多いに越したことなく、本もしっかり読み、
さまざまな文体に触れて喰らい、咀嚼して自分のものにしたい。
新しい言葉はなかなか無理だけど・苦笑、それでもエンタメとか書けば、
それなりに得る。なのに。
言葉は巧みになるほど不自由になる。
初めに言葉があった、は、キリスト教ヨハネの福音書だったか。
違う、そうじゃない。
この感情をなんと名づけよう、ああ、悲しいのだ、うれしいのだと、
言葉を与えた途端に薄っぺらく硬くなる。
初めにあったのは「自分がいる」発見と「あなたがいる」発見と、心だ。
賢そうな原稿はときに喜ばれるけれど、本来は五歳児でも理解できる、
そんな言葉と文脈で述べるのが正しい。
冒頭の写真は「玲瓏(れいろう)」という石。黒曜石、オブシディアンの中でも、
とくに珍しい青い縞の入ったもの。北海道の十勝川流域が採取地なのだとか。
黒曜石はガラスに似た性質で、割ると鋭いことから、
古代より矢じりの先などに使われてきたそう。火山岩の一種。
この石、ほしいな。
玲瓏は、「玉や宝石などが美しく輝き、冴え冴えするような音を奏でる様子」を
指すとか。ああ、これは「音」の言葉なのだ。
音。わたしの名前は、音。
玲子とどうして名づけたの?と子どものころの記憶を手繰り寄せると、
「姉ちゃんは「珠」でしょ。この世で一番美しい玉のことよ。
そしてそれが鳴ったときが「玲」なんよ」。だれの説明だったか。
母か、祖母か。
いま聞いても「しらん、忘れたぁ」とのたまわれるが。
わたしは音。
言葉も音、音には違いないけれど、巧みすぎると不自由になる。
言葉を尽くして説得したところで善い結果はなかなか無い。
で、あるならば。
ココロという宝石を触れ合わせ冴え冴えと鳴る音になろう。
形なく、生まれると同時に消えていく音になろう。
音になろう。
・・・あ。これも野田秀樹(夢の遊眠社)の台詞にあったなあ・笑。
2021-03-10 17:41
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